かぶ

君のために咲かせる花

「な、ティッシャ。お前ってさ、夢とかあんの?」
 貴族の子息らしからぬぶっきらぼうな言葉遣いで問いかけてきたのは、ティッシャの父が庭師を勤めるお屋敷の次男坊。その隣では、長男坊と三男坊が、それぞれに興味深そうな顔でこちらを見ている。
 御伽噺に出てくる金髪碧眼の白馬の王子様がそのまま年を重ねたような旦那様と、栗色の髪に落ち着いた栗色の瞳が美しい、ぴんと伸びた背筋にいつも見蕩れてしまう奥方様の間に生まれた三人の少年たちは、それぞれに両親のいいところを好き勝手に取ったらしい。旦那様の見た目に奥方様の色と落ち着きを兼ね備えた長男、旦那様の色と武術の腕に二人を等分に混ぜ合わせたような見た目の次男、奥方様の見た目に旦那様の色と性格をそのまま流し込んだぽんやりの三男は、正直、彼らの両親を知らなければ、三兄弟だなどとは間違っても思えないだろう。けれど彼らはそれぞれにとても仲がよく、それぞれに好きな事をしながらも、大抵同じ場所で固まっている。
 今日も今日とて父親の手伝いをするティッシャの元へと押しかけてきた少年たちは、小難しい本を読んだり、どこかで拾ってきたらしい棒を剣に見立てて素振りの真似事をしたり、ひらひらと舞う蝶や地面に落ちた花びらや熱心に雑草とハーブをより分けるティッシャを楽しげに眺めたりしていた。
 こんなのはいつもの事なので特に何も思わず、黙々と自分のするべき事をしていたおかげで、ティッシャは咄嗟に言われた言葉の意味が理解できなかった。邪魔だからと後ろできつく縛った髪の生え際を濡らす汗が鬱陶しくて、ぐいと手の甲で拭う。そして土に汚れたままの顔をお坊ちゃま方に向けると、短く訊き返した。
「夢? 夢って、たとえば?」
「夢は夢だよ。たとえば兄貴みたいに父さんと母さんの後を継ぐとか、俺みたいに騎士団に入るとか、ダヴィみたいに羊になる、みたいな」
「ゼス兄さん、僕、羊になるのはやめたんだよ」
「あれ、また変えたのか? 今度は何になる事にしたんだ?」
「シュークリームになるの。ふわふわで、甘くて、おいしいんだぁよ」
 ほんのりと頬を染めて笑う少年は、その言動も含めて実に微笑ましい。しかしそんな弟をあっさり無視して、質問者であるゼスは、ティッシャへと視線を戻す。
「ま、羊でもシュークリームでもいいけどさ。で、ティッシャは? 何になりたい?」
 とりあえず、目の前の少年の意図は理解できた。けれどどうして答えのわかりきった問いかけをしてくるのか、それがわからなかった。
「何にって……ガーデナー(庭師)以外に?」
「以外に。なんかあるだろう? うちの母さんみたいにガヴァネス(家庭教師)とか、ロマーナ叔母さんみたいに女騎士とか、……ローナ叔母さんみたいにお嫁さんとかさ!」
 与えられた選択肢を頭の中でぐるぐると回してみるけれど、そのどれも、ティッシャにはあまり面白そうにも楽しそうにも思えなかった。
 いや、もちろん彼女は、ゼスが名を挙げた三人の女性たちがそれぞれの仕事や役目を心から楽しんでいる事を知っている。自分にとって興味のない事柄であったとしても、他の人にとってはそうではないのだ。
 そんな風に結論付けた上で何か期待めいたものを色の濃い瞳に浮かべてじっとこちらを見つめているゼスに、はっきりと首を振って見せた。
「別に。あたしは父さんのこの庭で、花や草木の世話ができればそれでいいよ」
 言葉だけを取れば諦めに聞こえかねないが、それが心からの言葉である事は、少女の顔を見れば一目瞭然だ。
 庭で働くのを常とする彼女の赤い髪は、太陽に焼かれてしまってすっかりオレンジ色になっている。生まれた頃は真っ白だったと彼女の赤ん坊の頃を知る者はみんながみんな口を揃えるが、それも今では小麦色に焼けて見る影もない。
 彼女がもし貴族の娘であれば、騎士となる以外ではもう身を立てる術はないと判断されてしまうだろう。
 けれど幸いな事に彼女は貴族に仕える庭師の娘で、庭師という家業を継ぐ気でいるのだから肌の色などは関係ない。むしろこの健康的な肌の色は、彼女がどれほど熱心に仕事をしているかの証になるようにさえ思える。
「えー、なにそれ。つまんねー」
「かもしれない。でも、あたしはこれで十分満足だし、ガーデナーでないと叶えられない夢ってのもあるんだよ」
 心底からそう思っている口調で呟いたゼスに、ティッシャも嘘偽りない言葉を返す。
「庭師でないと叶えられない夢?」
 三者三様に驚いた目を向けてくる三兄弟に、ほんの少し照れたように微笑み、ティッシャは言葉を続けた。
「花をね、咲かせたいの。父さんが、旦那様たちに差し上げたような、花を」
「……クローブが、父さんたちに、花?」
「うん。ご結婚される日に、丹精込めて咲かせた花を差し上げたんだって。この庭で育てた、旦那様たちだけのために咲かせた花を。それを聞いてさ、すごいいいなって思ったの。だからあたしは、みんなのために花を咲かせたいんだ。この庭で、みんなのためだけに。――だから、ガーデナーがいいの」
 まっすぐに前を見つめて迷いなくきっぱりと言い切るティッシャの横顔に、かける言葉が見つからない。何を言っても薄っぺらに聞こえる気がしたのだ。
「――じゃあ、僕は庭になるよ。庭になって、ティッシャの花を咲かせてあげるんだ」
 穏やかな沈黙を破ったのは三男坊の、思いがけず真剣な声だった。
「……ダヴィッドさま……」
「だからティッシャは、何も心配しないでいいよ」
 にっこりと満面に笑みを浮かべる少年の言葉は実に天真爛漫でどこかずれている。なのになぜか、ティッシャは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「ありがとう、ダヴィッドさま。あたしがんばって、綺麗な花を咲かせるね」
「がんばれティッシャ」







「……てかさ、俺らに花くれるつってるのに、あいつが庭になっちゃ意味ないよな?」
「ゼス、お前はデリカシーってものを覚えた方がいいと思うぞ」
 ……などという無粋な外野のやりとりは、幸いな事にやわらかに微笑み合ってる二人には届かなかった。