かぶ

Truly Madly Deeply - 13

「峰倉!」
 投げられた鋭い声に驚いて、少女らが振り返る。その肩越しに、見る見る近づいてくる隆の姿がはっきりと見えた。
「う、そ……」
「やだ、なんで……」
 毒気を抜かれたように呆然と呟く少女達の背後で、依子は大きな安堵に全身から緊張を解く。
 駆けつけた隆は依子を背に庇うように少女らと依子の間に立ち、肩越しに依子を振り返った。
「ごめん、遅くなった」
「ううん。でも、どうして……」
「そこから中、見ればわかる」
 指差されたのは体育館の通風孔で、素直にそこから中を見れば、ジャージ姿の刑部秀人がオレンジのボール抱え込むようにしゃがんで笑っている。
「勉強に飽きたさかい自主練しに来たんやけど、妙な声が聞こえてな。オレが止めよか思たけど、ここはやっぱり隆の出番や思い直して連絡したんや。ちなみにこれまでの会話、全部携帯越しに筒抜けやで?」
 からからと笑う秀人の言葉に隆を振り返れば、むっつりとした顔で少年は頷く。
「どこから聞いてたの?」
「多分、ほとんど最初の時点からだと思う。――本当に、ずいぶんな事、言ってたよな」
 その言葉に顔を青くしたのは、依子ではなく彼女を呼び出した少女らだった。
 けれど、この状況ではもう言い逃れはできないと諦めたのか開き直ったのか、少女の一人がきっと隆に視線を向けた。
「神沢君は、この女に騙されてるのよ。この子がみなしごだって神沢君も知ってるでしょ? 神沢君を利用するつもりなんだわ!」
「どうしてそう思うんだ?」
「だって……だって見たもの。二人で買い物してる所」
 鋭く問い返され、怯んだように潜めた声で返された言葉に、隆と依子は思わず顔を見合わせた。
「買い物をしているところだって? どこで見た?」
「あっちにある小汚いアーケードでよ。店で足を止めるたびに、神沢君がお金払ってたじゃない」
「――なるほど。けど、どうして君が、そんな場面を目撃するんだ? あっち方面に用事があるような奴は、この学園には俺と峰倉意外いないと思っていたんだけど」
 紛れもない事実だからと声高に主張する。けれどその意気は、更に低められた隆の声にあえなく挫かれた。
 どこか怯えたように息を呑み、二人の友人達と視線を交し合う。その様子は不審以外の何ものでもなく、隆はもう一度同じ問いを口にした。
「答えろ。どうして君は、俺達が買い物するところを見たんだ?」
「…………最近、神沢君が学校を出てから駅じゃない方に行くって噂を聞いたの」
 長い逡巡の後、ぽつりと漏らすようになされた告白を、隆は短く結論付けた。
「後をつけたのか」
「だって、気になったんだもん! どこに行ってるのかなって、知りたかったんだもん!」
「それで人のプライバシーを侵した挙句、勝手な思い込みで妙な言いがかりを峰倉に押し付けたんだな」
 吐き捨てるように言い切られ、少女達が絶句する。
「確かに買い物をする時は、俺が金を払ってた。けどそれは、峰倉が夕飯を食わせてくれるからだ。その材料代を出すのは、人間として当然だろ。――峰倉が別にいらないって言うのを支払わせてもらえるように説得するのは苦労した」
「ど、どうして峰倉さんが神沢君に夕食を食べさせるのよ!?」
「峰倉ん家で勉強を教えてもらってるからな。外食より自炊の方が安いし、時間も無駄にならない。――ああ、先に言っとくけど、勉強を教えてくれって言ったのも俺だからな。俺が押しかけて勉強を教えてもらってるんだ。理由は峰倉の成績を考えればわかると思うけど」
 次に訊こうと思っていたのだろうポイントを先取りされ、少女達があからさまにうろたえる。
 居心地の悪い沈黙の後、隆の後をつけたと言った少女が搾り出すような声で問うた。
「……なら、どうして手を繋いでたの? 勉強を教えてもらうだけなら、そんな事する必要ないでしょ」
「あっちゃぁ……」
 体育館の中から出歯亀していた秀人が苦い声を上げる。それを耳にしながら隆は依子へと視線を投げ、どうしよう? と表情で問えば、依子は僅かに苦笑してどうしようもないね、とばかりに肩を竦めた。
 どう答えようかと迷ったのは、十秒にも満たない短い時間だった。どこか諦めたように小さく息を吐いて、隆は何でもない事のようにあっさりと言葉を口にした。
「――俺が、峰倉と手を繋ぎたかったから」
 誰一人として予想していなかった返答に、それを聞いた誰もが絶句した。
 少女達は唖然として隆を見上げているし、依子は反応すら返せず固まり、数秒の間を置いて秀人が体育館の床にべちゃっと突っ伏した。
 それぞれの反応などどうでもいいと言わんばかりの隆は、これっぽっちの照れも動揺も見せぬまま、再び少女達へと鋭い視線を向ける。
「もう一度言っておくけど、俺が峰倉に付きまとってるんだ。峰倉は俺のわがままをを受け入れてくれてるだけであって、峰倉が俺に付きまとってるんじゃない。だからお前達が峰倉に『俺に付きまとうな』なんて言っても意味ないんだ。言いたい事があるなら俺に言えばいい」
 その言葉が十分彼女らに浸透するのを待って、隆は更に冷たさを増した声で続けた。
「今日に限っては見逃してやる。だけど今後、お前ら以外の誰かでも、今日みたいな言いがかりを峰倉につける事があれば、その時は他の誰でもなく俺を敵に回す事になるからそれを覚悟した上でにするんだな」
 隆の背中に隠されて、依子には彼がどんな顔をしているのかは見えなかった。けれどその声にははっきりと苦しげなものが混じっていて、自分のためにこんな事を言わせているという事に罪悪感を覚える。
「……峰倉?」
 無意識に視線を落としていたせいで、隆が振り返っていた事に気づかなかった。顔を上げれば、そこにはすでにいつもの穏やかな表情しかなく、ほんの少し胸が温かくなる。
「大丈夫か?」
「ん、あたしは大丈夫」
「そか。なら早く帰ろう。時間、無駄にしたから取り戻さないと。実は昨日帰ってからやったところでわからないとこ出てきてさ。最初に少し、数IIやっていい?」
「いいよ。じゃあ、少し急ぎ足で帰ろうか。――走るのは絶対なしだからね?」
「了解」
 完全にいつものペースを取り戻し、依子は両手で持っていた鞄を左手で持ち直す。それを合図に隆は依子の右に立ち、肩越しに体育館を振り返った。
「秀人、お前も適当に切り上げて帰れよ」
「あいよ、わぁった」
 いまだにさっきの隆の発言のショックから抜けきれず、秀人は気の抜けた声を返しながらひらひらと手を振る。空の左手を上げて返した隆は、その場に凍りついたままの少女達には目もくれず、依子と並んで正門へと歩きはじめた。

* * *

「ごめん。俺のせいで迷惑かけた」
 依子の部屋に帰り、それぞれの定位置に腰を落ち着けるなり切り出した隆に、依子はきょとんと目を見開いた。
「神沢君……?」
「俺がもっと気をつけていたら、こんな事にはならなかったはずなんだよな……峰倉と両想いだってわかって浮かれすぎてた。本当に――ごめん」
 神妙な顔で謝罪の言葉を口にする隆をみて、帰ってくるまでの間、妙に隆の雰囲気が固かった理由がここにあったのかと依子は納得する。納得して、苦笑に顔を歪めた。
 まったく、どうしてこの人はこんなにもまっすぐなんだろう。
 ――まあ、そんな隆だからこそ、依子は隆に惹かれたのだけれど。
「……別にこれくらい想定範囲内だったから、気にしなくても構わないのに」
「けど……」
「想定外だったのは時期かな。来るなら試験が終わった後だろうって思ってたの。だってみんな、勉強で手一杯で、こんな事気にしてるような余裕はないはずだからって」
 何を考えてたのかしら、と首を傾げる依子を数秒間じっと見つめた後、堪えきれず吹き出した。
「峰倉、それ、突っ込みどころ微妙にずれてる……」
「そう? でも期末試験直前なんだよ? 一学期の成績が左右されるってタイミングなのに、よくそんな余裕あるなあって思ってさ。……まあ、あたしたちも、試験前に付き合いはじめちゃったあたり、あまり強くは言えないけど」
 苦笑する依子に隆もそうだな、と頷く。けれどふと浮かんだ考えに、隆は表情を暗くした。
「――もしかしたらあいつら、あえてこのタイミングで呼び出す事で、峰倉を動揺させて成績落とさせようとしたのかもしれないぜ」
「あー……そうか、そういう考え方もできるんだ」
 それは考えてなかった、と素直に手を打ち、だけど、と依子は切り替えした。
「それなら思いっきり逆効果だったんじゃないかな」
「逆効果?」
「うん。だって好きな人にあんな風に言われちゃったんじゃ、ショックでそれこそ勉強が手に付かなくなっちゃうと思う」
「――まあ、それはそうかもだけどさ。……峰倉も嫌な思いしただろ?」
 自分が気にしているのは依子なのだと強固に主張する隆に、彼女はあっさりと首を振る。
「あたしは大丈夫。あれくらいで揺らぐほど弱くないし、それに……」
 ふわりと柔らかな笑みを浮かべ、ことん、と隆の肩に頭を乗せる。
「神沢君が、守ってくれたもん」
 甘えるような依子の声に一瞬驚きを見せた隆は、しかし次の瞬間、満面に幸せそうな笑みを浮かべて少女の肩を抱き寄せた。