かぶ

Truly Madly Deeply - 23

 どこか縋るように見上げてくる少年を、少女は穏やかな眼差しでじっと見つめる。
「神沢君があたしを必要としてくれるなら、あたしはいつだって神沢君のものだよ。心も…………身体も、何もかも全部」
 予想だにしなかった言葉を与えられ、隆は一瞬言葉を失う。一瞬でからからになった口の中をなんとか湿らせ、隆は重ねて問う。
「峰倉、本当に意味、わかって言ってる?」
「もちろん。ちゃんとわかってるよ。そう言う神沢君こそ、わかってる?」
「え?」
「あたしが今、ここにいるのはあたし自身の意思だって事。あたしはいつでも自分でちゃんと考えてる。神沢君はあたしが流されてるだけだって思ってるかもしれないけど、そうじゃない。ちゃんと考えて、あたし自身がそうしたいって思ったから、神沢君を受け入れてきたの。――だからね、自信持っていいんだよ? あたしはちゃんと、神沢君が好きなんだから」
 心の奥にあった不安をずばりと見抜かれ、隆は深く驚くと同時に声を上げて笑い出したくなるほどに強い爽快感を覚えた。
 やっぱり依子は自分を、神沢隆という人間をきちんと真正面から見てくれている。神沢興業の御曹司、などという、彼自身には重荷でしかない虚飾を剥いだ後に残る、ただの少年を。だからこそ、自分は彼女をこんなにも必要としている。
 実感が心から身体へと浸透していくと同時に堪えきれないほどの歓喜が一気に溢れ出し、感情に任せて強く抱きしめた。
「か、みさわ……君?」
「――ああ、やっぱり好きだ。俺、峰倉の事、どうしようもないくらい好きだ」
 素直な思いを口にして、少しだけ腕の力を緩める。背中に回していた左手を彼女の頬に添え、依子の薄紅色の唇に自分自身のそれを強く押し当てる。息が苦しくなるまで口付けて、それから啄ばむようなキスを繰り返す。数を重ねる度に顔の角度を変え、少しでも深く触れ合える位置を探す。偶然に唇の少し奥にある湿った部分が重なり合った瞬間、電流めいたものが二人の間に流れた。
「っ――!」
 初めての感覚に、依子は思わず身を引いてしまう。なぜだろう、心臓がすごい勢いで血液を循環させている。そのせいでやけに身体が熱く感じてしまう。
「……今の、嫌だった?」
 どこか寂しげな瞳の隆に、依子は咄嗟に首を振る。
「そ、じゃなくて……ちょっと、驚いた、だけだから」
「なら、続けてもいい?」
 逡巡は一瞬だった。こくんと一つ頷けば、隆はとても嬉しそうに微笑んでくれる。くすぐるような柔らかさでこめかみと耳の間を撫でる隆の指の感触に、肌と心がざわめく。
「峰倉」
 低い呼びかけに、意識を隆の指先から本人へと戻す。何、と返そうとしたその刹那、小さく開いていた彼女の唇に隆の唇が重ねられた。今度ははじめから深めに口付けられる。唇の裏同士が触れ、擦れる度、先程感じた電流が流れ込んでくる。不慣れな感覚に堪えきれず喘ぐように大きく息を吸いかけた時、狙いすましたかのように隆の舌が依子の口の奥へと滑り込んできた。唇とはまた違う弾力と熱を持つそれが口の奥で縮こまっている依子の舌へと伸ばされる。
 どこか荒っぽい動きで隆の舌が依子の舌を絡め取った瞬間、頭の奥で生まれた熱が脳をじんと痺れさせ、くらりと軽い貧血を起こす。二人の間で混ざり合う唾液の立てる水音が頭蓋に直接響き、依子から現実感を奪っていく。自分の身体を保つ事さえもが難しくなって咄嗟に隆の首に回した腕に力を入れた。
 依子が隆にしがみついたのを期に、隆は依子の背中に回していた右手をゆっくりと下ろし、腰の辺りを迷うように彷徨わせはじめる。くすぐったいのか、依子が時々背をひくりと跳ねさせるたびに身体が密着して、その柔らかさに本能がかきたてられる。背中から腰へと背骨に沿って指を滑らせてからようやく、隆はシャツの裾へと手を忍び込ませた。
「んゃっ!」
 甘く高い声を上げ、依子は一際大きく背を跳ねさせる。僅かに仰け反った細い首へと吸い寄せられるように、隆は唇を寄せる。顎から首筋へと唇を繰り返し触れさせると、依子が喉の奥で小さく喘ぐのが聞こえた。触れる肌の感触と耳に届く少女の声があまりに甘美で、隆はうっとりと酔った。
 けれど依子は深まった愛撫によって、逆に我に返ってしまっていた。
 隆の肩越し、ほんの数歩の距離にベッドが見えているのだ。やっぱりこんな不安定な体勢でいるよりは、きちんとしたところで愛されたい。そう思って、浅い息の合間に言葉を紡いだ。
「待、って……ね、神沢君……!」
「うん?」
「その、場所……」
「そ、だな……変えようか」
 吐息が交じり合う距離で囁きあって、隆は名残惜しげにもう一度依子の唇を甘く奪う。
 顔を離し、つけっぱなしになっていたパソコンのキーボードに手を伸ばす。一々ソフトウェアを閉じる事すら煩わしくて、指先でいくつかのキーを叩いてシャットダウンさせる。視界の端でパソコンが終了動作に入るのを確認すると、膝の上で隆に力なく身体を預けている依子を支えながら立ち上がり、依子の手を取ったまま、ベッドへと向かった。
 緩慢な動きでついてくる依子をベッドに座らせた隆は、ヘッドボードの棚にあるベッドランプを点けると、その傍らにおいてあったリモコンで部屋の照明を落とす。どこかぼんやりとしたオレンジの光の中を振り返ると、依子がまた目をぱちくりとさせていて、隆は低く笑いを漏らした。
「悪いけどびっくりするのは、後回しにしてもらっていい?」
「え……?」
「今は、俺だけ見てて。俺の事だけ、考えて」
 囁きながら、依子の正面に膝立ちになる。さっきまでの余韻だろうか、うっすらと潤んでいる依子の瞳をじっと見つめながら、耳に掛かっている長い髪を後ろへと流す。そのまま頬に手を添え、ちゅ、と音を立ててキスをした。
 触れるだけのキスを数度繰り返し、隆は唇を頬から耳へと移す。いつも髪に隠れている耳に唇を落とすと、依子が小さく肩を竦める。そんな些細な反応すらも嬉しくて、隆は柔らかな耳たぶを唇で食んだ。
 や、と小さな抗議の声が上がるけれど、敢えて無視して耳のすぐ後ろの柔らかな皮膚に強く吸い付く。唇を離した跡はぽつりと色濃く痕が残っていて、隆は満足げにそこに指先で触れる。もう一度耳に口付けてから、首筋に舌で触れれば高い声を上げて依子が身をよじる。視線を上げると恥ずかしさと困惑の混じった視線にぶつかり、唐突に湧き上がった衝動のままに少女を強く抱きしめた。
 どこでどう動けばいいのかがわからず、けれど依子自身隆に触れたくて、おずおずと持ち上げた手を隆の背中に回す。こんな些細な意思表示も嬉しいのか、隆は小さく笑うと彼女の髪にいくつものキスを降らす。優しく髪と背中を撫でる大きな手は次第に違う意思を持って動きはじめ、うなじや肩甲骨の下、脇の少し後ろ辺りを撫でられるたび、依子の意思とは関係なく身体がびくりと跳ねる。彼女の反応を確かめるように、隆の手は背骨に沿ってうなじまでなで上げ、依子の頬を両手ですっぽりと包む。
 薄暗い中でもお互いの視線に熱が篭っている事はわかる。微妙に絡まない視線は双眸と唇の間を行き来していて、自分と相手の求めるものが同じだと知る。ならば、何を躊躇する事があるだろう?
 どちらからともなく求めたキスは、思いの強さを示すようにあっという間に深さを増す。先程は隆にされるがままになっていた依子も、今回はためらいがちにではあるけれど隆に合わせようと舌を絡ませてくる。不慣れながらも自分に合わせようとする依子のつたない技巧に、隆はどうしようもなく心を弾ませた。
 頬を包んでいた手を、首のラインから肩へそろそろと下ろし、いささかの躊躇を振り切ってシャツの上から少女の胸のふくらみに手を触れた。シャツの下に依子がつけているブラが彼女自身の温もりを遮るものの、彼女の柔らかさを感じる事までは完全に防ぎきれず、マシュマロの柔らかさを隆の手に伝えてきた。まるで自分を焦らすようなその感触に僅かな苛立ちを覚え、無意識に指先に力が篭る。
「い、た……」
「ごめん、少し、力が入りすぎた」
「……うん」
 上げられた抗議の声に間髪入れず謝罪の言葉を返す。口を小さく開いて浅い呼吸を繰り返す依子の潤んだ瞳に隆への恐怖や嫌悪は見えない。むしろ淡い笑みさえ浮かんでいた。
「もっと、気をつけるから」
「ん、わかった」
 短く言葉を交わす間にも、唇の距離は自然と近づきあう。どうしてだろう。ただ唇が重なっているだけだというのに、こんなにも心地よく感じるのは。ずっとこのままでいたいという想いと、もっと深くまで探りたいという想いがない交ぜになる。
 啄ばむだけの口付けが深さを増すにあわせ、隆はシャツの裾から中へと手を滑り込ませる。
 さっき、短い間とはいえ確かに触れたと同じ滑らかな肌に、今度はしっかりと触れる。湯上りのためと汗のためにしっとりと濡れた肌は、触れる手の表面からさざなみめいたセンセーションを隆へと送り込む。
 逸る心を抑え込んで少女のすべすべとした背中をゆっくりと撫で上げる。ブラのホックに指先が触れたのを期に、隆はもう一方の手もシャツの下から背中へと回す。けれどブラの金具と思しいところを指で摘んだところで問題に行き当たってしまった。
 当然だが隆はブラなどつけた事もなければ、誰かが着脱するところを見た事もない。ヤマ勘で指を動かすものの上手く外せず、じわじわと心の中で焦りが募りはじめた。
 当然だが、自分の背中でなされる試行錯誤に気づかぬはずがない。隆が何に苦心しているのかに気づいて、依子は思わず笑いを漏らした。
「峰倉……」
 実に情けない表情で瞳を覗き込んでくる隆に、依子は小さくごめん、と返す。
「あたし、外そうか?」
「そ、だな……てか、外すとこ、見せてほしい」
 笑いを残していた依子の表情が、隆の思いがけない言葉にぴきんと凍りつく。
「……ええと」
「ああ、だからさ、多分だけど、一度見たら次はちゃんとできると思うんだ。だから……」
 言葉を重ねながら、隆は気まずげに視線を逸らす。
 隆の言葉に驚かされたのは事実。だけどそれよりも、隆が口にした「次」という言葉に、依子の心臓がきゅうと反応を示す。
「――わかった。じゃあ、えと、どうしたらいいかな」
 返ってきた言葉にほっと破顔して、隆は依子のシャツに手をかける。
「これ脱いで、あっち向いてもらっていい?」
「ん」
 短い返答が耳に届くと同時に隆の手が依子のシャツを持ち上げる。まるで子供の着替えみたいだ、と頭の片隅で呟きながらも、依子はむしろ従順に両手を挙げて隆の動作を助ける。
 空調によって冷やされた空気が熱く火照るはだに触れ、少女はふるりと身を振るわせる。胸を隠す意味合いもこめて自分の身体を抱きしめる依子の様子を見て、隆は心なしか顔を顰めた。
「もしかして寒い? そうなら温度上げるけど」
「ううん、大丈夫」
「そう? 無理とか遠慮とかしないでいいからな」
 念を押す隆にわかってるよ、と微笑みを返す。
「ならいいけど。それじゃ、ベッドの上でむこう向いてくれる?」
「ん」
 頷きながら隆のベッドに上がった依子は、壁を向いてぺたりと腰を下ろした。
 薄暗い中、日にあまり焼けていない背中が隆の目に眩しく映る。あまりに眩しくて、気を抜けば理性が焼ききれてしまいそうだ。一気に燃え盛ろうとする欲望を落ち着け、隆はレースの付いた淡いブルーのブラへと意識を向ける。
「一回だけ、だからね」
 きっとどうしようもなく恥ずかしいのだろう。小さな声でなされた警告に、隆は神妙な声でわかった、と返す。それを受けて、依子は細い指を自分の背中に回した。
 彼女にとってはいつもの事、だけど隆にとっては初めて見る行為で、驚くほどあっさりとなされたそれは、しばらく前の自分が馬鹿馬鹿しくなるほど簡単なものだった。
「ああ、そっか。こうなってたんだ……」
「本当に、本当に一回だけだから。絶対もう二度とやらないから!」
 交差した腕で胸を隠しながら振り向いた依子は首の付け根まで真っ赤に染まっていて、隆は改めて、依子がどれほどの羞恥と戦っていたのかに気づかされる。
「うん。ごめんな。それと、ありがと」
 背中から腕を回し、少女の華奢な身体を抱きしめる。いいよ、と答える小さな声に感謝して、隆は今は剥きだしになった肩にそっと唇を押し当てた。