かぶ

天邪鬼な想いの行方 - 01

 なんだか最近、あたしを抱くこいつの腕が、やけに優しい気がする。
「んっ……やぁっ、だめ、それいじょ……あああっ!」
「嘘つけ。こうされるの、好きなくせに」
 くっ、と喉の奥で低く笑って耳元で囁く。ついでにざらりと舌で敏感な耳の裏を舐め上げられて、あたしはまた高い声を上げてしまう。
 そりゃあそうでしょう。だってあたしの身体はこの三年間であんたに知り尽くされてるんだから!
 あたし、梨尾比佐子(なしお ひさこ)とあたしを抱くこの男、山上杜樹(やまかみ とき)がこんな関係になったのは、三回生の冬だった。
 ぶっちゃけると、忘年会と称したコンパで飲み過ぎた勢いってやつ。
 しかも当時、杜樹には誰もが知る本命のすっごく可愛い彼女がいたってのに。
 目が覚めて互いに自分達の犯した過ちに気づいてからしばらくは無言だった。あたしの頭の中はどうしよう、って言葉がぐるぐる回ってて、まともに考える事もできずにいた。
 一回生の春に出会った杜樹とは、元々同じサークル仲間って事もあって、けっこう仲が良かった。基本的に頼りにできる奴だし、それなりに気遣いもできるし、何より趣味が合う。だから都合が合えば一緒に出かけたりもするような仲だった。
 あたしは結構早い内から、杜樹に対する自分の気持ちがどんなものか、はっきりと気づいてた。
 だけどあたしたちの関係は、どうがんばっても恋愛関係には進展しようがなかった。
 だって、あたしが杜樹の好きになるタイプとは、まったく違うタイプの女だったから。
 杜樹が好きになる女の子は、みんなふわふわきらきらしていてすっごく女の子らしい子ばっかり。メイクもヘアスタイルもファッションもすっごくフェミニンで、女の目から見てもそういう方面でがんばってるなって素直に賞賛できる。
 対するあたしはと言えば、友達の付き合いでダークブラウンに染めはしたものの、お金がかかるからの一言で髪を巻きもしなければ、化粧も最低限しかしない上、服装もかっちりきっちりしたものが多い。それどころか気に入れば男物だろうと女物だろうと気にせず着てしまうので、気が付けば上から下までメンズって事も実は少なくなかったりする。しかも女の子にしては少し背が高いせいで、杜樹や他の男の子と並んでいても、後ろから見れば短髪&長髪の男二人に見られたりする事も、この数年の間に何度かあった。
 だから杜樹は、あたしの事をまるっきり男友達みたいに思ってたはずで。
 おかげであたしはその時の状況に大いに戸惑って、挙句、盛大にパニックを起こした。だけど杜樹に酷い事を言わせたくないっていうその思いが強く前に出て、あたしは混乱しながらもなんとか言葉を発した。
「あ、のさ。とりあえず、どれだけ覚えてる?」
「――俺、記憶なくすタイプじゃねえって知ってるだろ」
「あー……だよね。で、でもさ、今回だけそれ曲げない?」
「は?」
「忘れた事にしよう。双方共に。それがいい。何もなかった。ね。ほら、これで問題なし!」
 杜樹はすっごく嫌そうな顔をしていた。
 そりゃあそうだろう。実のところ杜樹はあんまり彼氏として誠実なタイプじゃない。
 中心部から若干離れているとは言え、二十三区の片隅で暮らしていながら誰からもダサイとか言われないだけのセンスと、それに見合った容姿をしているのだ。しかも明るくてユーモアがあって、付き合いやすい。つまり、女にはまったく不自由しないわけで、付き合ってる彼女がいても、気が向けば他の女の子からのお誘いにあっさりついて行っちゃう所があったりする。
 けどだからって、した事をなかった事にするほど卑怯な奴じゃないのだ。
 ……まあ、それが原因で振られてばかりいるらしいんだけど、自業自得だよね。
 それでもあたしは、杜樹と杜樹の彼女の間に割って入ろうなんて考えてなかったわけだし、喧嘩とか別れとか――杜樹を傷つける原因に、なりたくなかった。
「だって杜樹、彼女いるでしょ? あの可愛い子、泣かせるなんてだめだよ。あたしと帰ったってもしかしたらもう知られてるかもしれないけど、外で酔い醒まそうと思ったら終電行っちゃって仕方なくマンガ喫茶入ってたとか言えばいいし! そしたら外泊の言い訳も立つでしょ?」
 実にすらすらと浮かんでくる言い訳というか偽アリバイに、あたしってば自分の事だってのに呆れそうになっちゃった。
 でも、その時のあたしは、杜樹を守らなきゃって事しか考えられなかった。
「……お前がそれでいいなら、俺は別にいいけど」
 長い沈黙の後、これっぽっちもいいと思ってない顔で杜樹が言う。逆にあたしは満面に笑顔を浮かべて頷いた。
「あたしはいいよ。ややこしいのとか面倒くさいのは嫌だし。だから忘れよう。で、友達に戻ろう。これまでどおりに。ね?」
「ああ」
 不機嫌この上ない声。だけど頷いてくれてあたしは安心した。
 そう、安心した。――そのはずだった。
 なのにその二週間後、例の彼女と別れたからってあたしの家に上がり込んだ杜樹に、あたしは流されるままに抱かれてた。最初は自棄酒に付き合ってただけのはずなのに、気が付けば、そうなってた。
 そんな風にして、平常時はただの友達、けれどふとした拍子に一線を超えてしまうって関係が、気が付けばもう三年。
 しかもこの男はきちんと本命の彼女を作るのに違う子と浮気をし、更にはあたしにまで気が向けば手を出すという実に節操のない行動を取りはじめたのだ。
 ……いや、元々浮気性の気があったから変わってないっちゃ変わってないのかもだけど。
 『あんた一体何考えてるのよ?』って一度怒鳴った事がある。その時に返ってきたのはは確か、『嫉妬されるって気持ちよくない? それに、一人と一緒じゃ飽きるだろ?』だった。『ならあたしは飽きないの!?』と聞いた答えは『比佐子はあいつらとは違うから』なんてもので。ああそうですか。あたしはイロモノ扱いですか。
 なんて諦めながらも気が付けば三年。もうすぐすれば社会人になってから二年目の冬に突入して、この関係に陥ってから数えれば四年目に入ってしまう。
 いいかげん、この関係をなんとかしたいって思うけど、どうしても踏ん切りが付かないのは、やっぱりあたしがどうしようもなく杜樹を好きだからだろう。
 大学にいた頃も、社会に出てからも、何度か杜樹以外の男の人から声をかけられる事はあった。その内の何人かとは夕食を一緒に食べたり、実に健全なデートをした事もある。だけど相手を無意識に杜樹と比べてしまっている自分に気づいて、こんな気持ちじゃ相手に悪いとごめんなさいし続けてきてしまった。
 まったく、杜樹は次から次へと彼女や浮気相手を作ってるってのに、あたしってどうしてこうも重いんだろう? 時々自分でも呆れてしまう。
 そのくせ、こうして杜樹に誘われて、抱かれるとどうしようもなく幸せになってしまって。
 この間写メで見せてもらったキュートな彼女ちゃんには悪いけれど、こうしてあたしを抱いてくれている杜樹はあたしの事しか見てないし考えていない。きちんと返してるんだし、少し借りるくらい、いいよね……?
「チャコ、ずいぶん余裕あるんだな? 何考えてる?」
「な、んにも、考えてなんか――ってちょっ、やめ、それ無理!」
 ぐいっと腰を思いっきり持ち上げられて、あたしはほとんど肩だけで身体を支えている状態になってしまう。そんなあたしの上から杜樹はのしかかって、全体重をかけて腰を押し付ける。
 癖のある少し長めの茶色い髪が張り付いた額から、汗が一粒鋭角な顎へと伝ってあたしへと落ちる。たったそれだけの刺激にも、おかしな程反応してしまう。
「やぁっ、ふかっ――苦し、い……の!」
「反省した?」
「し、たから……お願い、普通に、して……?」
 息苦しさと強すぎる悦楽に生理的な涙が零れ落ちる。ああもう、どうしてこんな酷い男、あたしは嫌いになれないんだろう――!
「……ったく、お前、その顔反則……」
 不満な口調なのにどこか満足げに微笑んだ杜樹は一度身体を引いて、そっとあたしの身体をベッドに横たえる。それから正常位でまた繋がりなおして、ぴたりと身体を重ね合わせる。
「イイ? なあ、チャコ、答えて?」
「わ、かるで、しょ」
「わかるけど、答えてほしい。俺でちゃんと気持ちよくなってる?」
 いいながら小刻みに身体を動かされ、あたしは甘ったるい喘ぎを漏らしそうになる口を押さえる。けれどその手はやんわりと顔の横に押さえつけられて、結局隠そうと思った声は止め処なく漏れていく。
「いい声で啼くよな、チャコ。ほら、答えろよ。一言で言えるだろ?」
「やんっ……もう、ああっ、んく……イ、イよ? ちゃんと、気持ちいいよ?」
「っチャコ、お前――!」
 瞬間、ナカで杜樹が一気に質量を増し、何かが切れたかのように杜樹があたしを激しく貪り始めた。
 ほとんど力任せに揺さぶられて、目の前の肩にしがみ付きたくなる。けれど伸ばした爪を楕円形に整えているあたしが下手にしがみ付いては背中に傷をつけてしまいそうで、代わりにシーツをぎゅっと握り締める。それに気づいて、杜樹はむっと顔をしかめた。
「背中に腕、回せって」
「馬鹿、言わな……で」
 唇だけで笑みを作って目を閉じる。そうすればもう、杜樹は何も言わない。
 ち、と舌打ちするのが聞こえたけど、ここはあえて無視する。そうするとまた、低く何かを口の中で呟いて、いきなり激しく腰を打ちつけはじめた。
「ちょっ! やっ、杜樹!? んぁあっ、は……あ、あ、あ、あ、あああっ」
 互いの身体に慣れてしまっているから、こんな乱暴な動きでも抉るように突いてくるスポットは実に的確で、あたしは一気に上り詰めてしまう。身体の中心が熱くなりすぎたせいで、指先が冷たく痺れたようになる。全身を仰け反らせ、抱きつけない代わりに杜樹の腰に巻き付けた足にぐっと力を入れて彼を引き付ける。
「だ……め、もぉ、あたし――っ」
「イくんだ? なら、イけよ。俺も……」
 耳元で掠れた声が囁いて、習慣のように耳の下から首筋までのラインに小刻みなキスが落とされる。
 ――ああっ、もうダメ! おかしくなる!
「杜樹……杜樹、杜樹、杜樹ぃぃぃいい!」
「っく――ぁあ……っ」
 自分ではコントロールできるはずのない波に襲われる。それを追うようにして杜樹があたしの中で、薄いゴムの膜越しに情熱を吐き出す。
 余韻を感じるように何度か小刻みに身体を震わせた杜樹の身体があたしを包み込むように覆いかぶさってきて、その愛しい重さにどうしようもない幸福を感じた。