かぶ

Goodbye To You, My Love : Georgena - 05

 伊達に何年も一番近い場所にいたわけじゃない。顔を見なくても、彼が不安と焦燥に駆られているのがわかる。わかってしまう。
 すでに彼女は一番傷つけたくないと思っていた相手を十分すぎるほど傷つけているのだ。これ以上はぐらかしたところで彼が彼女を慮って身を引いてくれる事はないと気づいてしまった。それどころか真実を隠し続ける事で、恋しい相手は疑心暗鬼と混乱に陥るばかりなのだ。
 どうせ事実は変えられないのだ。ならばいっそはっきりと伝えて、判断は彼自身に委ねればいい。
 覚悟を決めてしまえば、できる事は一つしかない。ゆっくりと息を吸い込み、震える声でジョージーナは静かに告げた。
「私、両親のどちらにも似ていないでしょう? 父にも、母にも。不思議に思った事はなかった?」
「それは……確かに、まったくなかったと言えば嘘になるね」
 ジョージーナがようやく本当の事を語ろうとしていると気づき、クライブの気配が僅かに安堵したものに変わる。けれど漲る緊張に変化はない。きっとクライブ自身、これから語られる内容が予想外なものになるだろうと予想しているのだろう。
 そしてその予想は、哀しい事に正解なのだ。
「私も、周囲もね、みんな不思議に思ったものよ。どうして私はこんなにも両親に似てないんだろうって。でも父が、私は父方の先祖の血を隔世遺伝したんだと言っていたから、それを信じていたの」
「――でも、違った?」
 自分の言葉を継ぐ形で問う彼に、ジョージーナはゆっくりと首肯した。
「私、ね。実は父の本当の娘じゃないの」
 さすがにこんな告白は予想していなかったのだろう。はっきりと驚愕の声を上げたクライブへと、ジョージーナはようやく向き直る。どう言葉をかければいいのだろうかと戸惑う彼の視線を受け止め、彼女は疲れたように微笑んだ。
「両親が結婚する直前までね、短い期間らしいけれど、母はある男性と付き合っていたの。そう、私はその人の子供なの。そうして私は、全面的にその人に、実の父に似てしまった。――本当、人って先入観に捕らわれる生き物なのね。間違われたのだって一回や二回じゃすまないってのに、一度も疑わなかったなんて。ううん、間違われたんじゃない。正しく言い当てられていたんだわ」
 自分の中で消化したつもりでいた。けれどやはりわだかまりはあったのだろう。当事者ではないクライブに話す事で、心のダムがとうとう決壊してしまったようで、感情が、言葉が、怒涛のように溢れ出して止まらない。
 こんなのはフェアじゃないと自分でわかっていても、今のジーナには自分で自分を止める事ができなかった。
「ねえ、思った事はなかった? どうしてこんなに似ているんだろうって。血縁はないはずなのに、どうして私が娘と間違えられるんだろうって。まったく、皮肉よね。実子の誰よりも私生児にあたる私が一番あの人にそっくりだなんて。本当に……本当に、あんなに何度も言われていたのに。『ああ、彼女が君の長女なんだね? さすがによく似ている』って。信じられない。どうして誰も気づかなかったの? その間違いが、実は間違いじゃなく正鵠を射ているんだって。ねえ、クライブ、どうしてなのかしら?」
「ジーナ、もういい!」
 ヒステリックに言葉を繰り続けるジョージーナの肩を青年は強く掴む。一気に近くなった茶色の瞳には、混乱がはっきりと浮かんでいる。彼女の言葉の裏に隠された事実を正しく認識しながらも、できる事なら否定したいとその瞳が告げている。
「つまり、そういう事なのか? だから君は、仕事を止めてボストンから離れようとしていたのか? 僕さえも捨てて?」
 受け入れがたい真実を受け入れるための言葉は、しかしジョージーナが口にしたと同じく、あいまいなものだった。きっと彼の中でも恐ろしい程の葛藤が起きているのだろう。申し訳なさと哀れみを同時に感じながらじっと視線を返すジョージーナに、今度こそクライブははっきりと問いかけた。
「ジョージーナ、答えてくれ。本当に――本当に君は、ゲオの、フォルトナー上院議員の娘、なのか……?」
 逡巡したのは本当に短い時間だけだった。きりきりと絞られる胸の痛みに耐え切れず目を閉じて、ジョージーナははっきりと一つ、頷いた。
 ジョージーナらしい、浮ついたところのない落ち着いたあたたかな木目と手縫いのキルトで飾られた部屋は、ぴんと張り詰めた緊張と沈黙に支配されていた。
 クライブが投げかけた、全てを明らかにするための問いに彼女が一つの首肯で答えて以来、二人とも言葉を忘れてしまったかのように声一つ発していなかった。父の心境を慮って無理やり呑み込み、抑え込んでいた感情を一気に吐露した事でジョージーナは放心したようになっていたし、クライブもクライブで目の前に晒しだされた事実を受け入れる事で精一杯のようだった。
 長い長い沈黙の末、先に口を開いたのはクライブだった。
「君が知っている範囲で構わない。一体過去に何があったのか、教えてもらえるかな」
 のろのろと頷いて、父から聞かされた二人の――否、三人の若い男女の間に起きた出来事を、ジョージーナはゆっくりと語り始めた。
 ダニエルから与えられていた愛情を信じきれなかったアネット。初めて訪れた都会で出会ったのは、当時はジョージと名乗っていたゲオルグ。彼の優しさと魅力に抗えず恋に落ちたアネットと彼女を受け入れたゲオルグは恋人同士となったが、程なくして妊娠してしまった事に気づいたアネットは動転して逃げ帰るようにして帰郷した。そこで彼女を待っていたのはダニエルだった。自分自身の身に起きた全てを懺悔したアネットをダニエルは赦し、彼女の裏切りの事実とその証である生まれてくる子供を一手に引き受けたのだ。
 端的に聞かされた事実だけを述べたため、全てを語り終えるまでに大した時間はかからなかった。それでもやたら長く感じられたのは、きっと内容が内容だったからだろう。ジョージーナが話しはじめてから程なく彼女のベッドに腰を下ろしていたダニエルは、ようやく苦しげに息を吐き出した。
「事情はわかった。だけど……わからないな。ゲオルグはいつも、誰か新しく人を雇用する際にはかなり詳細に身元調査をしているはずなんだ。僕自身が手配した事だってあるし――いや、君の時は他の仕事をしていたから関わってないし、調査結果も読んではないよ」
「わかってる。信じてるし」
 慌てて付け足したクライブにジョージーナが思わず笑みを零す。その反応に安心したように彼自身も表情を緩ませるが、すぐにまた真剣な表情へと戻る。
「とにかく、その、出身や学歴、職歴は当然、家族構成や政治思想、近親者の犯罪暦、依存症の有無、過去の恋愛遍歴など、調べてわかる事は何から何まで調べられ、全てがくまなく伝えられるのが常なんだ。だから不思議なんだ。どうして誰も、君のお母さんとゲオの事に気づかなかったんだろう?」
「――父が言うには、母がボストンに出発する前夜、二人は家を抜け出して会っていたそうなの。その時は、最後までは進まなかったらしいのだけど周囲はそうは考えなかったようで、説明の手間が大いに省けたなんて言ってたわ」
「ああ、なるほど」
 言いにくそうに返したジョージーナにダニエルも気まずく頷きを返す。
「見た目については父の祖母、つまり私の曾お婆ちゃんにあたる人がハンガリーの人だったらしくて、その血のせいにされたわ。写真もそんなに残ってない世代だから実際の顔を確かめるのは難しいし、結構先祖返りってあるじゃない? だから周囲もその説明で納得してしまって」
 なるほど、と返しつつも、ダニエルはまだ納得がいかないという顔をしている。一体何がそんなに気にかかるのだろうかと問いかければ、彼はほんの少し迷いを見せた上で内心に蟠る疑問を口にした。
「君のご両親側の事情はわかった。でも、彼は……ゲオは、気づかなかったんだろうか。君のお母さんの名前を目にしておいて過去の恋人だと気づかないなんてあるんだろうか。年齢を逆算すれば簡単にわかると思うんだが……」
「これも父が教えてくれた事なんだけど、あちらでは母はアニーと名乗っていたらしいわ。こっちではいつもネッティだったから、気分転換したかったんですって。それに母の名前って、アネットも旧姓のジョーンズもどこにでもある名前じゃない。グーグルしてごらんなさい。無数に出てくるんだから。――だからきっと、同姓同名の別人だろうって思ったんじゃないかしら」
「なるほど」
 頷きながらもやはり釈然としない様子のダニエルに、ジョージーナはそっと肩を竦める。部屋の真ん中においてある揺り椅子をクライブの前まで持ってきてそれに腰を下ろし、ずっと何かを考えている彼の横顔をじっと見詰める。
 出生にまつわる真実を知って以来、一度ならず彼と同じ事を彼女も疑問に思いはしたのだ。だけど父に相談してそれなりの答えを与えられた後は、繰り返しその整合性について考えようとしなかった。―考えたく、なかった。
 けれどクライブはそういうわけには行かないのだろう。きっと今彼の中では、ジョージーナの存在がゲオルグに、彼の経歴や家族関係に与えるダメージだとか、彼自身が彼女といる事でのメリットやデメリットなどが渦巻いているのではないか。
 そう考えて、ふとジョージーナは頭の片隅に引っかかっていた違和感を思い出し、僅かに身じろいだ。
「ジーナ? どうかしたかい?」
 元々ジョージーナの感情の変化には鋭く反応するクライブだ。深く考え事をしている今でもそれは変わらず、慎重に彼女の心の動きを探る目になってこちらを見つめてくる。
「いいえ、その、大した事じゃないの。ただ……」
「ただ?」
「……本当に、ちょっと浮かんだだけなのよ? もしかしたら間違えてるかもしれないし……」
「うん」
 その思いつきはあまりにも突拍子がないように思えて、ジョージーナは口にするのをためらう。けれど穏やかに先を促され、彼女は渋々と口を開いた。