かぶ

Goodbye To You, My Love : Epilogue - 05

「――本日はこのささやかな催しにお運びいただけた事、主催者の一人として感謝する。個人的には今日この場で後継者を披露したかったのだが、至極残念なことにその第一候補者の旅立ちを祝福させられることになってしまった」
 大きな身体を萎れさせてわざとらしいため息を吐く上院議員に漣のような笑いが集まる。ジョージーナの傍らでは、槍玉に挙げられている当の本人すらもが苦笑を零していた。
「しかし同時に素晴らしいニュースを――二人の元にコウノトリがキャベツ畑から届け物をしたのだとお伝えできるこの僥倖に感謝しよう。……おめでとう、クライブ、ジョージーナ。二人とこれから生まれてくる子の幸福を、心から願うよ」
 賛同を告げる声とともに盛大な拍手が沸きあがる。すでに何度も受けている祝福の言葉と拍手に、主役の二人が幸せに満ちた笑みを浮かべる。
「本来なら会の始まりとともに挨拶をするべきところだが、終わりも近いこの時間になったのは、恥ずかしながら、今に至るまでスピーチの内容を決めかねたのが一因だ。何しろ未練がましい言葉ばかりが溢れてきてね……。だが、いい加減胎を括るべきだろう」
 ゆっくりと会場内にいる一人ひとりへと視線を巡らせ、上院議員はそっと息を吐き出した。
「皆さんもご存知のように、クライブ・サットンは私の政治家人生において一番長く私の元で、私のために働いてくれた青年だ。彼は己の生まれ育った環境をより良いものにしたいという志から政治の世界を目指したものの、他の方法でもその目標は叶えられるのだと気づいて別の道を歩む決意をした。その決断は尊いものであるし、尊重されるべきだろう。――たとえ私が、後継者と目した相手を手放さなければならないのだとしても」
「未練は吹っ切ると言ったばかりじゃないですか、ゲオ!」
 しかめっ面を作って張り上げられた夫の声に、会場がまたどっと沸く。
「そうは言うがね、本当に未練たらたらなのだから仕方がないだろう? なにしろお前は私にとって、右腕以上の存在だったのだから」
 心外な、という顔で続けられた言葉に、会場がしんと静まりかえる。
「そう。クライブは本当に優秀な青年だ。強い信念と深い愛情を持ち、物事を正しく見つめる目と判断する頭を持っている。それなのに、どうして彼の決意を曲げてまで手元に留めることができようか。返す返すも惜しいことこの上ないが、こうしてクライブは私の元から巣立っていくこととなった。その巣立ちを、まだ肩肘の張った若造の頃から見守り育ててきたものとしては、たとえそれがお節介だとしても、少しでも支え応援したいと思う」
 ゆっくりとクライブから視線を外し、ゲオルグはその鋭い目を招待客の一人一人へと向ける。次々と重なる視線が想いを、願いを伝えてくれるようにと強く念じ、更なる言葉を紡ぐ。
「傍から見れば、彼は己が決めた道から外れたように映るかもしれない。だが、それは違う。彼は自分自身で選び取った道を歩んでいるだけだ。――そう、かつて財政界に関わる事を疎んじて放蕩の限りを尽くしていた私が、兄と慕った人の掲げた理想を実現するべく政治家の道を選んだように」
 これまで理想を口にした事は幾度ならずある。しかしそのきっかけを公に語るのはこれが正真正銘初めてだった。それに気づいたのだろう、旧知の友人たちの顔に驚きの色が浮かんでいる。
「こういう話をすると、口さがない者は私は他者の人生を生きているのかと考えるだろうがそうではない。たしかにきっかけは彼だった。彼が語った夢に、理想に強く共感した。それがいつしか私の目標となり、彼の語ってくれた言葉が道標となった。そうして政治家として生きることを、私は自ら選んだのだ。万が一志半ばで挫折することになったとしても、その責は私が負うものであり、他の誰が背負うものでもない。もちろん、私が憧れた彼の人の責任でなどありえない。彼がしたのはただ、私に新しい世界の有様を垣間見せただけだ。それを実現したいと望んだのはあくまで私だ。何が起きたとて、他の誰にも私自身の決断の責任を押し付ける事はできないし、そのつもりもない」
 穏やかに冷静に、時に軽いジョークを交えつつ率直な言葉で語りかけるのがゲオルグのスタイルだ。派手な表現やキャッチーなフレーズは最小限に抑え、わかりやすい表現で対象へと訴えかけるのを得意としていた。
 比べて今の自分はいつになく熱くなっていると思った。いや、それ以前にこんな風に想いを全面に出して何かを訴えた事がこれまでにあっただろうか? ――きっと語りかけている相手が相手だからだろう。どうにも己を抑えられない。こんな風に突き動かされる自分が存在したのだと、この歳になって初めて知った。
 不思議な高揚感に押されるように、ゲオルグはいっそう熱の篭った口調で言葉を重ねる。
「誰の人生も己で選び取ったものであるべきだ。その選択によって得るものも失うものも数多あるだろう。だが、忘れないでほしい。それは、他の誰でもなく自分自身の決断によるものなのだと。どんなに酷い失敗をしたとしても、それによって何を得て、何を失ったとしても、全ては自分を導いた誰かではなくそうすると決めた自分が負うべき責任であることを」
 手元を離れる二人に向けての言葉ではあるが、同時に彼らを取り巻く人々に向けた言葉でもあった。
 支援を願って招いた人々にはわざわざ語るべくもない言葉だ。しかしクライブと共に世界へと働きかける若者たちにこそ心に留めておいてほしかった。
 こんな忠告は頭では理解できていても、いざ窮地に陥ると意味のない戯言となってしまう。人間とは弱い生き物だから、災禍が降りかかればその責任を自分以外に求めてしまいがちだ。しかしその責任を理不尽にいとし子たちへと押し付けるような事がないように。そしてまた、お互いに責任を押し付けあう事で二人が傷つけ合うような日が来ないように。
 一呼吸置いてもう一度会場内に視線を巡らせる。さすがはクライブが同士と見込んだ者たちだとでも言うべきか、彼の言葉が正しく受け入れられたらしいと目に映る表情から読み取れた。
 僅かに安堵の息を吐き、改めて本日の主役へと向き直る。
「クライブ、ジョージーナ。君たちは大きな決断を下した。一度は心に決めた道を違える事もそうだが、誰か一人を伴侶とすることも同じくだ。これからは生まれてくる子供について、大なり小なり無数の決断を下さなければならないだろう。その際には二人でよく話し合い、責任を二人で分け合ってほしい」
 はっきりと自分たちに向けて語られた言葉に二人は力強く頷きを返す。その顔に翳りや迷いが見えないことに深く満足し、ゲオルグは穏やかに微笑んだ。

* * *

 つい先ほどまで盛況を博していた庭は、闇の中いつもどおりの静かな佇まいに戻っている。階下の明かりに片付けられずに残されたテーブルが見えているが、それも明日の日中には、ジョージーナが手配した業者の手で片付けられるだろう。
 主役の一人に手配を任せるなどという非常識を敢行した理由のひとつには、彼女にこういった依頼をできる最後の機会だったから、という事情がある。今後は夫ともどもゲオルグの元から離れるのだ。そうなれば、畑違いの場で活躍する彼女にホームパーティの切り盛りなど頼めるはずがない。
(まったく、どこまでも未練がましい真似を……)
 内心で自嘲するものの、同時に強い満足感も覚えていた。どうやら“お節介”は上手く働いたようで、はじまりの時点ではぎこちなかった青年たちも、ゲオルグがスピーチに立つ頃には随分緊張が解れているように見えた。スピーチそのものも冷静になれば気恥ずかしさがこみ上げてくるが、若い人たちからは感動的だったと好評を得たのでよしとするべきか。
「――ゲオ、またここにいたんですか」
 苦笑混じりにかけられた声に振り返ると、数時間前と同じ体勢でこちらを見るクライブの姿があった。