予期せぬ申し出 - 01
そんな事を唐突に告げたのは、彼らを取り巻く和やかな陽だまりそのものの青年だった。
日の光に淡く好けるプラチナブロンドは緩やかなカールを描き、フロックコートの肩へと柔らかに流れ落ちている。綺麗なアーチ型の眉に優しい光を絶やさない瞳、何より常に笑みを湛えた唇は、本来の男性的な造形を中性的に作り変えていて、戦士である事こそ誉れとされるこの国においては軟弱者と呼ばれがちだ。けれどカリーチェは、彼が並ならぬ努力家であり、その実力は騎士団に入ったとしてもまったく遜色ないものだと知っていた。
その彼がなぜ、たかが家庭教師の自分にそんな事を、こうも唐突に言うのだろうか。何より子供を産んでほしいとは、一体どういう意味だろう?
心臓がじわじわと冷たく重くなるのを感じながら、カリーチェは視線を傍らの青年にひたと当てる。
「……申し訳ございません、ウィロビー様。仰られる意味がよくわからないのですが」
「言葉どおりの意味だよ。僕は君の子供が見たいんだ」
どこまでも穏やかに微笑むウィロビーの表情からは、からかいの色は見出せない。どうやら本気で言っているようだが、問題は彼の真意がどこにあるのか、という事だった。
鮮やかに色づいた落葉樹の葉を揺らす風が、頑なにまとめられた濃い茶色の髪を揺らす。秋らしいモスグリーンの長いスカートの裾がはためくのをそっと手で押さえ、カリーチェはベンチの上で身じろぎする。その様子を、ちょうど一人分の隙間を空けて同じベンチに腰を下ろしているウィロビーが、穏やかな目で見つめていた。
「唐突に子供を見たいと申されましても、私にはまだ、約束を交わした方もおりませんし……」
「うん、知ってる」
「でしたら私には子供を産む予定がない事も、ご存知でしょう? それに、どうして私の子供なのですか?」
試してみた反論にあっさりと頷かれ、戸惑いを深めながらカリーチェは問う。
貴族社会というのは広いように思えるがその実とても狭く、その気になればどんな末端に属するものでもかなりの高位に立つ家に就職するだけのコネを得る事はできる。だからこそ下級貴族の子女たちは学問や剣術、馬術などに勤しみ、上手く真の上流に住まう人たちの傍に侍ろうとする。
カリーチェは、その幸運を見事に手に入れた一人だった。
両親に言われたからというのもあるが、元々の素質として優れた頭脳を持っていた彼女は奨学金を得て高位の学校に進み、そこで知り合った友人の伝手を頼りにこの家へとやってきたのだ。
あと五年もすれば一番幼いローナも年頃になり、ふさわしい相手を見つけて結婚するだろう。そうなれば彼女のこの家での役目は終わるが、紹介状をいただく事さえできれば就職先に悩む事はないはずだし、運がよければ次の働き先も見つけてもらえるかもしれない。きっと今よりもお給金は少なくなるだろうけれど(カリーチェが現在受け取っている給金は、勤める家の格を鑑みても、標準を遥かに超えた額だ)、ほとんど使い道がないせいでいただきっぱなしのお給金がそれなり以上の金額になっている計算だから、それで国債でも買えば、毎年受け取る事のできる利子で足りない分を賄う事もできるだろう。
そうしていつか出会うだろう愛する人と家庭を築ければいい。そう思っていた。
だから彼女にとって、結婚なんてものはまだまだ先の事なのだ。当然、子供を産む、なんて事も、想像の果てにある。
そんなカリーチェの戸惑いに気づいているのかいないのか、ウィロビーはなんでもない事のように言葉を続けていた。
「だって君は子供の扱いがとても上手いじゃないか。おてんばリリアンは君が来てからきちんと勉強をするようになったし、人見知りが激しくて家族以外誰にも懐かなかったローナは君が大好きだ。一時間に一度はとんでもないいたずらをするか、どこかに隠れてしまって屋敷中を混乱に陥れずにいられなかったジェロニモも、君が一度叱り飛ばして以来、周囲に迷惑をかける度合いがぐんと減った。何よりロマーナは、君のおかげで幼い頃からの夢だった騎士団入りを果たして、ここ数年ずっと見る事ができずにいた、幸せそうな笑顔を取り戻してくれた」
「そんな……私はただ、それぞれが抱えていた問題にほんの少し手を貸しただけです」
「その『ほんの少し』が難しい。うちの家族は自立心が無駄に旺盛だからね。誰かの手を借りて何かを成し遂げるというのは屈辱だとさえ考えていたりもするし」
「ああ、それは」
失礼だとは知りながらも、カリーチェは思わず笑みを零す。
彼女は元々リリアンの家庭教師として、ウィロビーがいずれは継承するこの館へとやってきた。それから早三年。気が付けばウィロビーを含む五人の兄妹にとても好まれている。本当ならば別の家庭教師をそれぞれに雇うはずだったのに、カリーチェじゃなければ嫌だという可愛らしく嬉しいワガママのおかげで、彼女は下の三人の勉強も見る事になった。
本当は妹のロマーナよりも遥かに強く騎士団入りを望んでいたはずのウィロビーは、すぐ下の妹の願いを叶えるためにどちらかといえばたおやかな見た目を利用して、まるで軟弱者のように振舞う事で嫡男としての義務を優先した。そんな彼の慰めに、少しでもなれればと、そう願ってカリーチェは、時間が許す時にはこんな風にウィロビーの話し相手を務めていたのだが……
「ねえ、カリーチェ。君は気づいていないかもしれないけれど、僕って本当は、他人から気を遣われたりするのはあまり好きじゃない方なんだ。だけど君は、君だけは、まったく気に触らない。――本当に不思議だね。君はもしかして、僕たち家族の尖ったプライドを和らげる魔法でも使えるのかな?」
ふわりと笑って見つめてくる彼の言葉に、頬が一気に熱を持つ。ああ、なんて事だろう。密かな気遣いを知られていただなんて。気づかれていないはずだと思っていた自分が恥ずかしい。
「申し訳……」
「謝らないで。言っただろう? 君の気遣いは嫌じゃないって。それもあってね、君がいいって思ったんだ。君に、子供を産んでほしいなって」
話題が元に戻ってしまい、いったいどうしたものやらと途方に暮れる。途方に暮れたままでしばらく考えて、ようやく浮かんだ一番正しそうだと思った考えを口にする。
「それはつまり、あの、結婚の相手をご紹介を下さるという事でしょうか?」
「紹介って、わざわざそんな必要はないよ」
「え……ええと、では、その、一体どなたの子を産めと仰っておられるのですか?」
「あれ、今の会話でわからなかったかな?」
彼はどうやらきちんと告げたつもりでいたらしい。けれど先程からの会話をいくら思い返しても、彼女の相手となるべき相手の名前は、一度たりと挙がっていなかったはずだ。
「ごめんなさい。きっと聞き漏らしていたのだわ。あの、もう一度どなたなのか、教えていただけますか?」
「そんな恐縮しないでいいよ。というか、ああ、面と向かって言うのは少し恥ずかしいね」
ふわりと照れたように微笑むウィロビーに、いけないとは知りつつも見惚れてしまう。
いつも紳士的で、貴族とはいえ下級の娘であるカリーチェに、ウィロビーはいつだって優しかった。学友で同じく家庭教師になった娘たちと交わす便りには、身分が下位であるからという理由で受ける理不尽な仕打ちに対する嘆きや怒りが少なからず含まれている。特に若い男性が同じ屋敷にいる場合は顕著なのだとか。
だけど彼はカリーチェにそんな態度を取らなかったし、一度彼を訪れた親族の一人が彼女をまるで娼婦のように扱おうとした時は、断固と対処してくれた。
そんな彼がカリーチェにと選んだ相手なのだ。悪い人であるはずがない。
そう繰り返し自分に言い聞かせる彼女の耳に届いたのは、まったくもって予想していなかった言葉だった。
「君に産んでほしいのは、僕の子供だよ」
びょうと一際強く吹いた風が、呆然とウィロビーを見つめるカリーチェの髪を一筋解いて過ぎ去った。