かぶ

ポッキー・ゲーム

『Dear 秋近(あきちか)先輩

K大合格、おめでとうございます。
先輩が受験勉強をとてもがんばってたのを見ていたので、結果を知った時、まるで自分の事のように嬉しくなりました。
学校を卒業しても、後輩の私たちに会いに、ぜひまた来て下さい。』


「……これ以上、何をどう、書けって言うの……?」
 図書館のやたら広い机に懐く。ニス越しにもほのかに香る木の匂いが、ささくれ立っている心をほんの僅かとは言え癒してくれる。
 二月も終わりに近づいて、卒業式まであと二週間。
 三年生はとっくに自由登校に入っていて、しかもバレンタインが日曜日だったせいで渡したかったチョコレートも渡せずじまい。
 だからせめて、メッセージカードを送ろうと思った。思ってカードを買ってきて、いざ書かんと開いたはいいものの、書く内容に悩んでしまってこの有様だ。
「P.S.ずっと好きで……ああああああああああああああ! 無理! あたしには無理!」
 人気のない図書館で、一人で勝手に身悶える。
 そもそもあたしはそういう可愛らしい、乙女チック(ってもしかしなくても死語?)なタイプではない。中学校から続けているバレーボールのおかげかそもそもの素質なのか、身長は一七〇を超えているし、練習だって欠かさないから体格はいい。ていうか、いっそガタイがいい、と言った方がしっくりくるくらい。
 髪は一応伸ばしているけれど、邪魔だからと後ろにひっつめてくくっている事が多いし、何より顔が、可愛らしくない。
 いえね、別に不細工だとは思わないわよ? ただ何というか、主観的に見ても中の中、客観的に見るなら中の下に当たるんじゃなかろうかってなレベルってだけで。
 まあ、なんだ。結論を述べるなら、少女マンガには向かない素材ってお話で。
「……なんだってあたし、こんな事考え付いちゃったかな……」
 でっかいため息を吐いて、よっこらせ、と身体を起こす。と、後ろからぷはっ、という、あからさまに吹き出す声が聞こえた。
「っ――!?」
「ち、千葉(ちば)、お前って奴は……相変わらず見ていて飽きねぇ……!」
 右手の握り拳を口元に当て、左手でお腹を抱えているのは、誰あろう現在三年生の元男バレキャプテンの秋近先輩で、あたしの、ええと、まあ、アレだ。スキナヒト、とかいうやつだ。
 県大会のベストエイトレベルではあるけれど、キャプテンなんか張れるだけあって、リーダーシップは強い。それこそガタイも中々で、一九〇近い上背に、本気になれば体育館中の空気を震えさせる程に強力なアタックを決められる程に身体も鍛えられている。引退してからは髪も伸びてきているけれど、夏まではわかりやすいスポーツ刈りで、それがむやみやたらに似合ってしまう精悍な顔立ちは、練習中ならともかく、彼のおちゃらけた性格のおかげで残念極まりない事に、練習中以外は緩いカンジに抜けていた。……まあ、あたしはその、ヌケた、もとい抜けてるところが気に入って、惹かれたんだけどさ。
 ……てか、それはともかく、人の顔見てその第一声とかちょっとマジどうよ?
「先輩、出会い頭にそれは酷いです」
「ごめんごめん。でもさ、なんか見覚えある奴が……とか思ってたら、ヘタレた挙句に百面相してでっかいため息だろ? ちょっとこらえ切れなかった」
 くくく、とまだのどの奥で笑いながら答える彼に、あたしはばくばく音を立てる心臓には気づかない振りで、ぱたんとノートを閉じた。……さすがに本人に、メッセージの下書き見られるのは色々不都合があるからね。
「それにしても、今日はどうしたんですか? 結果報告は昨日でしたよね?」
「あー、うん。受験終わって暇だったから、ちょっとみんなどうしてるか見にきたんだけど」
 ピンと来た。
「残念でしたねぇ。今日は明日の予行演習のために、体育館使用禁止なんですよー」
「なんだよな。くそう、去年は練習がなくなったつって大喜びしてたってのに、なんで忘れてるんだ俺……」
 がくりと大げさに落ち込むついでにあたしの隣の席に腰を下ろした、秋近先輩はニヤニヤ笑いを浮かべながら、あたしをみやった。
「――で、何をのたうちまわってたんだ? バレンタインの返事待ちか?」
「日曜がバレンタインだってのに、なんでチョコ渡せるんですか」
 わざとらしく膨れて見せると、ああそういえば、と今更のように手を打つ。
「……それで俺、今年はチョコ一つももらえなかったのか……」
「……それ以前に、先輩にチョコとかくれる人、いたんですか?」
 ジト目を流せばぐぉおおおお! と心臓を押さえてのた打ち回る。そうしてパタリと机に伏せると、
「もう駄目、俺、死んだ。千葉の心無い言葉のせいで、俺、死んだ……」
 かゆ、うま、とか呟いてがくりと力を抜く。その迫真の演技に、今度はあたしが爆笑(とは言っても声は抑えに抑えて)する番だった。
 ひとしきり笑ってから、先輩とは逆隣の椅子に置いていた鞄から、ポッキーの箱を取り出す。実は今日の宿題の友として買ったものだからちょっぴり惜しいし、何より本命チョコに見えないのが更に口惜しいのだけれど、それでもやっぱ、そこはかとなく意思表示しても悪くはないはず。うん、そのはず。
「仕方ないですねぇ。じゃあ、これ、お情けで差し上げます」
「んぁ?」
 きょろりと視線だけでこちらを見てくる先輩の前でポッキーの箱を振る。やたっ! と小さく叫んでそれを捕まえた先輩は、嬉しそうに早速引っ張り出したポッキーを咥える。
「やー、もうさ、今になって学校のありがたみってもんがわかってきたよ。学校ないと、バレンタインのチョコももらえないんだよなー」
「ちょ、ありがたみって、そこなんですか!? 可愛い後輩たちと戯れられないとかじゃないんですか!?」
「あったりまえー。だって俺、極貧だもん。なのに甘党なんだもん。何も言わずに甘いもん与えられるバレンタインはよくやった菓子メーカー! な勢いで好き」
「秋近先輩……気づいてないかもですが、女バレからの義理チョコばら撒きがあったからこそのバレンタインって事、忘れてないですよね? それとも女バレ以外からも山のようにチョコもらってたとか言いくさりますか?」
 実際のところ、バレンタインデーが平日&土曜だった去年、一昨年は、是非是非言いくさってクダサイマセな状況だったのだけれど、そこは秋近先輩。期待を裏切らない反応を返してくださる。
「……千葉ちゃん、酷い」
 ぽきん、とポッキーを折ったかと思いきや、腕をそろえて両手を顔に当てて肩をあげてしくしくとジブリ泣きなど始めてくれた。うーん、なんというか、あたし、ちゃんとこの人の事が好きなんだけど、それとこれとは別って言うか……。ぶっちゃけキモい。
「酷くて当然じゃないですか。あたし、ドMの先輩にはドSの態度で接するのが一番だって、経験から知ってるんですから」
「うわ、ドS宣言来た。どうしよう、俺、唐突にトキメキ初めてるんだけど」
 今度は心臓に両手を当ててオトメのポーズ。……や、だから。でかくてゴツいアナタがそういう格好しても可愛くもなんともないですから! うん、可愛くなんかないんです。可愛くないったら可愛くないんです。似合ってすらありませんから! ……ああでもなんでこんな人を相手に、こっちもこっちでトキメいたりしちゃってるんだろう。つくづく末期だ。
 そんな自分をごまかすために、コホンと小さく咳払いをして、更に茶化す事にする。
「じゃあ、トキメキついでに愛の告白しちゃいません?」
「お、それいいな。もらった」
「……は?」
 今、何と仰いまして?
 思わず思考停止したあたしの目の前に、さっきあげたばかりのポッキーが一本差し出される。
「俺、千葉の事好きだ。バレンタインの逆チョコじゃねぇけど、オッケーならこれ、食って?」
「え?」
「来年はお前が受験だし、俺も俺で大学一年目だから時間合わせるのとか難しいかもだけど、ちょっとでも会える時間作れるようにがんばるからさ。勉強だって、大した力にはなれないかもだけど見るし」
「せんぱい……」
 さっきまでのおちゃらけはどこに行ったのか、まるで試合前のような真面目な顔。
 神様、これは夢ですか? それとも現実? 図書館で先輩へのお祝いメッセージを書きながら居眠りして見てる夢だったとかってオチはないよね?
「な、千葉。オッケーって言って? で、これ食って?」
 つん、とポッキーの先が唇を突く。何も考えられないままに咥えてぽきんと齧ると、先輩はすごく嬉しそうに笑った。そして。
「はい、もっかい咥える」
「むっ」
「で、そのままじっとして」
「う?」
 口の中へと押し込まれたポッキーに目を白黒させている間に、先輩が逆側の端を唇に咥えるのが見えた。
 って、これって――
 ぱきぽきかし、と、先輩がポッキーを齧る音。じっと見つめてくる目に怯んで目を閉じた瞬間、甘い香りのする唇が、あたしの唇に触れる。
「じゃ、これからよろしくな?」
 耳まで顔を赤く染めた先輩がとても近い距離で微笑むのに、あたしはただ、キスされた唇を押さえたままこくりと一つ、頷いた。