かぶ

身体の距離。心の距離。

 初めて神沢君の部屋に泊まった日から、二人の距離が、前よりも更に縮んだ気がする。
 なんとなく、だけれど、心だけじゃなく、身体そのものの距離も、以前より確かに近づいている。
 例えば、前なら隣に座っていても、肩や腕の間に少しばかりの隙間があったけれど、今はぴったり寄り添っている方が自然に思えてしまう、みたいな感じ。
 あたしの部屋には扇風機しかないから、窓を開けて扇風機を全開にしていても暑いはずなのに、気が付けばあたしは甘えるように、神沢君の肩に頭を預けてる。神沢君も、そんなあたしの肩にそっと腕を回して抱きしめてくれる。
 まあ、最近は……その、気が付いたら触れられていたりするけれど、はじめから嫌じゃなかった事だし、そうして触れられる回数が増えるにつれて、肌に触れる彼の手指を落ち着いて感じられるようになってきた、ような気が、する。
 初めの頃は、触れられているという事でいっぱいいっぱいだったのに、少しずつ慣れてきたのだろうか。あたしの反応を確かめるように、いつもゆっくりと丹念に触れてくる彼の指先を、視線を、吐息を、唇を、ゆっくりとだけれど、身体全体で受け入れられるようになってきている。
 あたしが神沢君を好きになるたび。あたしが神沢君の気持ちを、確かだと感じるたび。
 ふと思い出す。そういえば、気持ちが通じる前と後でも、あたしたちの距離は一気に近づいたっけ。
 それまで、まるで相手に触れちゃだめ、みたいな感覚があったのに、想いを伝え合って、キスをして、抱きしめられてからは、そこまで敏感じゃなくなってた。
 何でだろう。やっぱり心の距離が近づいたから、かな。
 心の距離が近づけば、身体ももっと近くに行けるようになるのかな。
 なんだか不思議。


 初めて峰倉を抱きしめて眠った日から、早一ヶ月。
 無理を強いちゃいけないと頭ではわかっていても、彼女が傍にいるとどうしても理性が持たなくて、気が付けば彼女を抱きしめて、口付けて、柔らかな身体に触れてしまっている。
 とはいえ、毎回最後まで抱いているわけじゃない。なにしろ俺達が会うのは峰倉の部屋がほとんどだから、防音なんて気の利いた設備は整っていないんだな。
 多分俺が日参に近いペースで入り浸ってるせいで、周囲からはあんまりよろしくない耳目を集めているだろう。そんな状況下にありながら、話題を提供するような音や声を立てたりするわけにはいかない。そう考えるだけの理性は、なんとかぎりぎり毎回残ってるんだな、残念な事に。
 がっついてるなと、自分でも思う。だけどなるべく毎日会えるようにと努力をしていても、やっぱり時間や都合が中々合わずにしばらく会えなかったりすると、久しぶりに顔を合わせた時には、彼女を求める気持ちが止まらなくなってしまう。
 なんて事を言いつつ、どうしてもたまらなくて峰倉を半ば浚うようにして家に連れて帰ったのはたったの二回なんだから、結構我慢していると思うんだ。
 それにしても、いや、なんとなくだけど、触れる回数が増えるたび、峰倉が俺の指や唇に怯えなくなってきた……ような気がする。
 はじめは自分の都合のいい幻想じゃないかとも思ったけれど、不意に触れても、はっと息を呑んだり、不自然に身体を強張らせたりする度合いが減ったし、慌てたように視線を動かす事も少なくなった。様子を見ながら手を動かしたり、顔以外の部分にキスを落としても、息を止める事はなくなった。
 少しずつ、俺に触れられる事を受け入れている、そんな気がする。
 まるで、俺という存在を、彼女という存在全てで受け入れようとしているみたいに。
 考えてみれば、俺達の関係はいつだって、俺が峰倉より一歩も二歩も先を求め、驚きながら峰倉がそれに順応していく、みたいな形で育まれてきていた。峰倉と話せるようになったきっかけこそ偶然だったけれど、その後はいつだって、俺が過ぎる要求をして、峰倉がひとまず受け入れて、それからその状況に慣れていく、その繰り返しだった。
 なら、今も峰倉は、感情と欲望で先走っている俺の隣に立ち、同じ速さで歩いていけるようにと、彼女自身のペースで俺を追いかけてきてくれているのだろうか。
 そっと、シャツの裾間際、わき腹と背中の間辺りを彷徨わせていた手をほんの少し下げて、指先だけを布の下に忍び込ませる。暑さだけでない汗にしっとりとした肌を指先が感じるのと、峰倉が甘く聞こえる鼻声を上げたのはほとんど同時で。
 視線をまっすぐに峰倉に向けると、目の辺りを仄かに赤く染めた彼女は、大丈夫だよ、と宥めるように微笑んでくれた。
 不思議だ。たった今まで暴れ出しそうだった欲望が、一瞬で昇華されてしまった。
 この感情が俺の独りよがりじゃないと、彼女の笑顔が示してくれた、ただそれだけで、こんなにも心が穏やかになるだなんて。
 ああ、そうか。俺の少しでも峰倉に触れていたいという思いは、身体だけを求めてるんじゃなくて彼女の心を求めての事だったんだ。
 みねくら、と、少し喉に絡んだ声で呼びかけて、想いを込めて抱きしめる。
 いつの間にか迷いなく抱き返してくれるようになった腕があまりに幸せで、まだ少しずれのある二人の感情と欲望が重なる時まで、きっともうしばらく待てるだろうと、そんな確信が胸に浮かんだ。