情けない男
大して広くない部屋に、情けない男の叫びが響く。叫んでいるのは山上杜樹(やまかみ とき)。大学受験の時に席が隣で、合格発表でも偶然に顔を合わせたところから付き合いが始まった一応ダチ。なんだけどぶっちゃけお前うるさすぎ。人の部屋で叫んでんじゃねぇっての。壁薄いんだから、隣近所から苦情がくるだろうが。
――なんて思ってはみても、やっぱり完全放置するのはあんまり哀れなので、情報誌をぺらぺらめくりながら口先だけで訊いてやる。
「で? 今度はどうしたんだ?」
「チャコだよ、チャコの奴! 決まってんだろ!」
ああ、そうだな、。お前がそんな風に吼えるったら、梨尾比佐子(なしお ひさこ)通称チャコちゃん(ただしこいつの前でそんな呼び方したら速攻殴られるので要注意)ネタぐらいしかないよな。それぐらいわかってるさ。ったく、こいつのグチに付き合い続けて一体何年だ?
「だろうな。で? 今度は何だ?」
お、新しいモツ鍋の店発見。安いし美味そうだし店も綺麗っぽいしいいんじゃね? 今度誰か誘って行こう。だけど間違っても目の前のこいつと、こいつの執着の元にだけは声はかけるまい。
「また誘われてたんだよ、同じゼミの男に。しかも予定がないからいいとかって頷いてんだぜ? どう思うよ?」
「予定がないなら受けてもいいんじゃねぇの?」
「いいワケねえだろ。あいつは俺のなんだから」
あんだけ揺れまくりだってのに、こいつってそこだけは揺るがないんだな。つかさ、思うんだけど……
「お前と梨尾って、本当に付き合ってんのか?」
「当たり前だ! じゃなきゃなんで、去年も今年もイベント全部一緒に過ごしてるんだよ!」
「いやぁ、それにしちゃ梨尾、お前の事邪険に扱ってねぇ?」
邪険って言うか、そっけないって言うか、一歩引いてるって言うか。山上はいちゃいちゃしたがってるのが丸見えなのに、彼女はなぜか、まるでただの友達みたいに振舞おうとする。……まあ、理由はわからないでもないんだが。
「仕方ないだろ。あいつはそういうタイプなんだよ。なんだっけ、ほら、専門用語でなんかあっただろ。えーと……ツンデレ?」
「……梨尾のデレ……」
あ、それは見たいかも。
何しろ梨尾ってのは、いまどき珍しいくらいさばさばした女で、きちんと物事を考える頭も持ってる。見た目もイイ線行ってるのに、なぜかあんまりかわいらしい格好をするって事に興味がないらしく、気がつくと素で男物の服を着てたりして驚かされる。しかもそれがやけに似合っててイケメンっぽく見えるから妙に悔しい。
そのイケメン具合がどれくらいかってーと、知り合った当初にあった事なんだが、俺や山上を含めた他の男連中と一緒に街中でふらついてた時、逆ナン食らったんだよな。しかも目当てがよりにもよって山上と梨尾の二人で。あの時の彼女の戸惑いっぷりと、お前失礼すぎだろと後からフルツッコミ入った山上の笑いっぷりは今でもネタだ。
そんな梨尾のデレを、見たくないはずが……
「……てめぇ、何いらん事想像してやがる……?」
――あるわけないですごめんなさい。つかお前、人の妄想察知してんじゃねぇよ!
「てかさ、マジ疑問なんだけど。梨尾のお前への態度もそうだし、お前もお前でコンパもナンパも相変わらずじゃん。それで付き合ってるなんて、誰が信じられると思うんだ?」
「コンパは誘われるし、引き止めてもらえないからしぶしぶ行ってんだよ。ナンパも最近は俺からはやってないぜ。エサに使われちゃいるけど、俺自身は食ってないし」
「え、マジ? ならなんでンな事するんだよ」
てっきり相変わらずの節操ナシ生活やってんのかと思ってたんだけど、違うのか?
「だってチャコが妬いてくれるし」
「……はぁ?」
なんだそれは。一体どういう理屈だ? こうなってくると、片手間に聞ける話じゃない。つうか雑誌なんかもうどうだっていいし。手にしていた情報誌をその場にうっちゃって、体育座りでいじけてる悪友の隣へと移動する。
「お前の言ってる意味、マジワケわかんねぇんだけど。結局何がしたいわけ?」
「――俺だって、そんな自信ねぇんだよ。お前も言ってるみたいに、チャコってば何かと冷たいし。そりゃ遊びまくってたとこ見られてるから信用薄いのはわかるけどさ、コンパ行くとかナンパされたとか可愛い子に好きって言われたとか言っても、あいつ『ふうん』で済ませるんだぜ?」
「うわぁ、愛されてねぇなぁ……」
「るせぇ!」
うわっ、だから耳元で叫ぶなって! そう言い返してやろうかと思ったけど、山上は既にグチモードに戻ってて、投げる言葉を失う。
「だけどさぁ、気のないそぶりとかするくせに、後ですっげ不安そうな顔してたりして、ああ、嫉妬してくれてるんだなーとか思うわけよ。で、嬉しくなって近づくと、嫌がる振りしてても嬉しそうな顔でさ。だからやっぱ俺って愛されてるなぁって」
「はぁ」
「しかもさ、他の男に誘われたりしても、後から同じ日に俺が誘ったら向こうの約束を蹴ってくれるんだぜ。そうじゃなくても大体俺の事優先してくれるし!」
「はぁ」
「イベントとかん時も『他の子と過ごさないでいいの?』なんて言うんだけど、チャコと一緒がいいって言い張ったら、仕方ないなぁとか言いながら幸せそうに笑ってくれてさ。その後のデートで飯作ってもらったりすると、めっちゃ手の込んだのとか作ってくれるわけよ。プレゼントとかやっても遠慮するんだけど、押し付けるみたいにしたら喜んでくれるし。こないだのホワイトデーにもあいつが好きそうなサルのぬいぐるみやったんだけど、いらないとか言ってながら、俺の見てないところですんげぇ甘えた顔で撫でてたりしてさ」
へぇ、梨尾ってサルのぬいぐるみ好きなんだ。つーかなんでサル? 女って普通、ウサギとかクマとかネコとかじゃねぇの? ってそれ以前にお前、一体いつからノロケモードに入った? さっきまで落ち込み入ってたんじゃないのかよ!?
「だから、チャコは絶対俺にホレてるんだよ! 俺もあいつ好きだし。だから付き合ってるし」
「……いや、その論理には無理があるだろ」
「どこに」
うわぁ、本気で気づいてねぇ。頭悪くないはずなのに、なんで梨尾に関してはこんなに馬鹿なんだこいつ。
「両思いらしい、ってとこまではいいとして、だからの後が強引過ぎる」
「だからなんで」
「いや、だからな……」
きりきりと痛む頭を抱えて説明しかけたのを遮って、山上は不満げに続けた。
「第一考えてみろよ。あのチャコが、付き合ってもない男と寝るか?」
「…………」
なんだろう。なんかすごく負けた気分。いや、別に梨尾が好きとかそういうわけじゃないから勝ちも負けもないんだけど、なんだろう。たぶんこいつの無駄に意味のない自信が悔しいのか。
だけど、今の山上の言葉には妙な説得力があった。
「確かに、言われてみればそうだけどさ……」
「だろ? だから俺らは付き合ってんの! だってのにチャコのやつ……なんで他の男と出かけようとしたりするんだよ……」
またしてもがっくりと肩を落として床にのの字を書くうっとおしい男が一人。叫ばないだけマシだけど、狭い部屋ででかい男に落ち込まれるのも困りものなんだよなぁ。これが可愛い女の子なら、色々と慰めようがあるわけなんだけど。
「知らねぇよ。そんなに嫌なら、いつもどおり牽制かけに行けばいいだろ」
「そうしたいのは山々だけど、その日は出張が入ってるんだ」
「あはは、そりゃ確かに邪魔しにいけねぇなあ」
盛大に笑ってやると、山上は実に恨めしげに睨んできた。
「お前、人の不幸を笑ってんじゃねぇよ」
「笑うだろ、普通」
「俺でも笑うけど、落ち込んでる奴目の前にして笑うなよ!」
俺でもって、お前やっぱり嫌な奴だな……自分がするのはよくて、されるのはいやだってか? ああ、だから梨尾が他の男と遊ぶのがいやだって駄々捏ねてるわけか。
「無理。笑う。――ああ、そうだ。なんなら俺がお前の代わりに邪魔しに行ってやろうか? 俺は別にそれでもいいぜ?」
「ばっ――! 他の男に行かせるくらいなら、上司に怒鳴られても、トンボ帰りしてきて自分で邪魔しに行くっての!」
「さいですか。ならそうすれば?」
「……できるもんならやるさ。だけどチャコ、仕事ないがしろにする奴は嫌いなんだよ……」
ああもう本当にこいつうっとおしい。なんでこんな躁鬱ヤロウと友達なんかやってんだ、俺?
とりあえず、こういう時は、だ。
「まあ、いいからさ、ほら、飲めよ」
テーブルで放置しっぱなしになってたビールの缶を差し出すと、山上は迷わず受け取ってぐびっと一気に飲み干した。
実はそんなに言うほど強くない奴だから、ウザったくなったら飲ませて潰すに限る。ちなみに悪酔いはしないから、情けない寝言を聞かされる以外の害はないのでこれが一番楽な対処法だ。あ、これ、もしかして梨尾に教えてやった方がいい情報? けど後でこいつにバレたら殴られそうだし、自分のためにもやめておこう。
そうしてグチに付き合いつつも問答無用で酒を勧め続けたおかげで、一時間後にはテーブルに突っ伏して寝る男が一人。
……本当、何で俺、こんな奴と五年もトモダチやってんだろう……
ちなみにこの夜からおよそ一年後に、梨尾が自分を山上の本命ではなく浮気相手だと思い込んでいたらしい事が判明した事で山上がとんでもなく落ち込むわけだが、それはまた別の話という事で。