かぶ

彼女の家庭事情 - 05

「あ……す、すまない、ロビン! 怖がらせてしまったかい?」
「う、ん。ちょっと、びっくりした」
「君の母親であるからには、すこしでもマシな対応をと心がけていたのだけれど、あれこれ思い出したせいで怒りがぶり返して、ついあんな風になってしまった」
「ううん、別にいいよ。あたしのために、怒ってくれたんだろ?」
「君のためと言うか、そうなる未来を見通せなかった自分の不甲斐なさなんだけど……ああ、でも、結局はそうなるのか」
「なら、いいよ。謝らないで。あたしだって、事情がわかった今となっては父さん寄りだし」
 ふわりと表情を和らげるロビンに、アーサーさんがわかりやすく安堵の息を吐く。それだけでも、この人が本当にロビンを大切に想っているのだと感じられて、僕は自分の事でもないのになぜか嬉しくなってしまう。
「……本当に? こんな僕でもいいのかい?」
「うん。あたし、父さんの事、嫌いじゃないし。最初はよくわからなかったけど、不器用なだけなんだって、この二週間でよくわかったから。だから全然大丈夫だよ」
 不安げな顔になる父親にロビンは笑って答える。そのとたん、ぱあっとアーサーさんの表情が目に見えて輝いて、僕は思わず吹き出してしまった。
「ランディ? どうかしたのか?」
「い、いや、その……アーサーさん、本当にロビン好きなんだなあって思っただけだよ」
「そ、そうかな? いや、間違ってはないけれど、ちゃんとそう見えているかい?」
「ええ、それはもう! ――ね、ちゃんと、目に見えてわかりますよね?」
 すっかり場から取り残されていたロビンのママを振り返って問いかけると、彼女はぽかんとした顔で頷く。
「アーサー、あなた……そんな顔も、できたの……」
「どんな顔か自分ではわからないけど、できているのならそうなんだろうね」
 そう返すアーサーさんの顔は、やっぱりまた無表情で。
 一瞬で張り詰めた空気に、ロビンがまた小さく呟いた。
「……父さん、なんか、ちょっと楽しいかも」
「うん、結構面白い人だよね」
「その対象がママなのはアレだけど……仕方ないし」
「……あの話を聞いちゃったからには、僕もちょっとフォローはできないね」
「別にフォローとかいらないよ。ちゃんと、わかってたから」
 ほんの少し寂しげに微笑んだロビンに、胸の奥がしくしくと痛む。君にはそんな顔をしてほしくないのに、僕ではどうにもできない現状に、悔しさが募る。
「こら、そんな顔してんじゃねえって。お前がいてくれてるから、あたしはこうして笑っていられるんだぞ? ちゃんと自信持ってよ」
 苦笑しながらこつんと額を当ててくるロビンには、きっと僕の情けない顔が丸見えなのだろう。
 ますますもってうな垂れてしまいそうになるけれど、ロビンの向こう側から気まずげな咳払いが聞こえてきて、僕達はぱっと離れる。
「ランディ、ロビン。君達の仲がいいのは認めるけれどね、一応時と場合は考えてほしいかな」
「えと……ごめんなさい」
「ごめん、父さん」
 二人してぺこんと頭を下げると、アーサーさんは構わないけどね、と苦笑する。けれどもすぐにその表情をまじめなものに戻すと、彼はロビンへと問いかけた。
「ロビン。もう気づいているだろうけれど、僕達は正式に離婚するよ。その上で、決めて欲しい。君は、僕とローナ、どちらと一緒に暮らしたい?」
「……ロブ……」
 どこか縋る様に、ロビンのママがロビンを見つめる。そちらへと戸惑ったように視線を向け、僕を見て、それからアーサーさんへとロビンは視線を戻した。
「あたしは、父さんと暮らすよ。ママがそうしたいなら、月に何度か会うのは別にいいけど、ボストンで暮らすのは嫌だ」
「……そんなに、ボストンでの暮らしが嫌だった?」
 傷ついたような母親の声に、ロビンが慌てて首を振る。
「違う! あたしはあっちでの暮らしも楽しかった。確かにあんまり治安のいい場所じゃなかったけど、兄さん達には可愛がってもらってたし、友達もいたし。でもさ、ずっと、思ってたんだ。ママにとって、あたしは重荷なんじゃないかって。本当は仕事とか恋愛とかバリバリしたいのに我慢してるんじゃないかって」
「そ、そんな事……」
「なくは、なかっただろ?」
 重ねられた問いかけに、ロビンのママは何度か反論をしようと口を開いては閉じて、最後には苦しげな表情でうつむいた。
「だから、お互いにとってちょうどいいんだよ。あたしがこっちで暮らすっていうのはさ。あたしは父さんと、今度こそちゃんと親子らしく暮らせるようにがんばるつもりなんだ。これまでお互いに遠慮しまくってたから。もちろん母さんには、月に一回か二回くらいは会いに行くよ。泊まりにもね。だけど、母さんとは暮らさない」
「ロブ……」
「何よりさ、ここには……アマデオが、ランディがいるから」
 とろりとはちみつみたいに甘く甘く微笑んで、ロビンが僕を見る。
 特別な名前で呼ばれたってそれだけで高揚するには十分なのに、僕がいるからニューヨークから離れたくないときっぱり言い切ってくれた。これで感動せずいられるはずがない!
「…………!」
 嬉しい、愛しい、大好き、そんな感情が身体中を駆け巡って、言葉なんて何も出てこない。ただただ幸せすぎて、僕は状況なんかすっぱり無視してぎゅうぎゅうとロビンを抱きしめる。
「ちょ、い、痛い! 痛いってばランディ! 腕緩めろ!」
「ごめん、ちょっと無理。ていうか嬉しすぎて無理。ロビン好き。大好き。可愛すぎる。どうしようもう幸せすぎて死んじゃうかも。や、もったいないし、ロビン幸せにしてからじゃないと死ねないけど。ていうか死んだら一緒にいられないから死んでも死なないけど。ああもう本当幸せすぎてどうしよう。むしろ僕どうしたらいい? ていうか僕にどうしろと? ただでさえロビン好きなのにこれ以上好きにさせるとかもう好きすぎて本当どうしたらいいかわかんないんだけど。お願いだから可愛いこと言わないで僕おかしくなるから。ロビン好き好き症候群で本当死んじゃうから」
 ……正直、この時自分が何を口走っていたのか自分自身でも理解できてなかった。
 ただちょっとこうアレな感じになっていたんだろうってことは、しばらくして平静さを取り戻した僕を見る、アーサーさんとロビンのママの生温い視線や、僕を見るたびに顔どころか首まで真っ赤にするロビンの様子からひしひしと察せられた。

* * *

 その後、アーサーさんとロビンのママできちんとした話し合いを重ね、ロビンはアーサーさんと一緒に暮らすことが正式に決まった。
 ボストンには月に一度か二度、ロビンとロビンのママ双方の都合が合う週末に会いに行くのと、学校が長期休暇の際には三日から一週間ほど泊まりに行くのが条件となった。
 相変わらず感情の起伏に乏しいアーサーさんは、それでも以前に比べれば遥かに思っていることや感じていることを表すようになって、最近はちょっと怖い。なんというか、やっぱり父親としてロビンを将来貰う気満々の僕に対して、多少思うところがあるようだ。
「本当に、君が君でければ、絶対認めたりなんかしないんだけどね……」
 そう悔しげに零される程度には、僕は気に入られているんだと自負している。
「つか父さん、それ今更すぎるだろ。そんな事言うくらいなら、あたしが泣いてた時に行動起こしときゃよかったんだよ」
「……あの場でそんな事してたら、賭けてもいい。君は僕を心底嫌いになってたよ」
「あー……うん、否定はできないかも」
「うん。僕も、全力でロビン取り返してたと思う。で、アーサーさんを敵認定してたと思う」
「……だよね。うん、わかってた。だからせめて負け惜しみくらい好きに言わせてくれよ。どうせどんなにがんばっても、僕はランディに勝てないんだから」
 妙な開き直り方をしたアーサーさんは、だから時々堂々と僕とロビンの邪魔をしにくる。それが彼なりのコミュニケーション方法なのだとわかるから、僕達は口では文句を言いながらも彼を受け入れている。
 まだまだぎこちないところがあるけれど、きっとそう遠くない未来、僕達はもっと自然に笑い合えているだろう。