かぶ

Goodbye To You, My Love : Epilogue - 04

 開場の時刻を少し早めに案内していたこともあり、開始時刻にはまだ間があるにもかかわらず、出席するとの連絡をくれた招待客のほとんどが集まっていた。
 あまり気を張らないアフタヌーン・パーティだから客たちの服装もどこかカジュアルで、若い二人を祝福するための集まりにはちょうどいい。とは言っても首謀者――もとい企画者が企画者だけに、顔ぶれは中々のものだ。
「まったく……ゲオの気の回し方って、わかりにくいようでわかりやすいのよね……」
 庭を見下ろす二階の窓の傍に立って、ジョージーナが小さく笑う。
「ジーナ、それ、本人の目の前で言ってはいけないよ? あれでいてあの人は意外に繊細なんだ。このパーティの本当の理由を知られてたなんて知ったら、どうしようもないほどがっかり落ち込んでしまいかねない」
 そうなると仕事に支障が出てしまうからね。囁いて、後ろから寄り添うクライブの腕にそっと抱きこまれる。整えたばかりの髪が崩れないようにと気をつけながら、彼女は夫へと身を預けた。
「それはもちろんしないけれど……でも、気づかないふりをしていては感謝の言葉すら伝えられないじゃない」
「そこはまあ、パーティを開いてくれたことそのものに対する感謝を伝えれば十分じゃないか? 大丈夫。ゲオはちゃんと敏いから、君の思いも正しく理解してくれるよ」
 拗ねたように目を伏せたのが見えたのか、小さく笑ってこめかみにキスが落とされる。
 息子のようにも娘のようにも想っている二人のためなのだから盛大なものを、というのがゲオルグの当初の望みだった。それこそ星が付くホテルの大広間を借り切るくらいの規模を考えていたらしい。
 けれどクライブもジョージーナも公人ではないのだし、そもそもこれは私的な祝い事なのだからと説得に説得を重ねて規模を今のものにした。
 説得されはしても納得していない様子のゲオルグが何を考えていたのかは、彼が用意した招待客リストを見たときにはっきりと理解した。――せざるを得なかった。
 なにしろそこに連ねられていた名前はフォルトナー上院議員が懇意にしているあらゆる政財界関係者の中でもNGO活動に理解があり、また各方面に大きな影響力を持つ人々のものだったのだから。
 ゲオルグが用意した招待リストに載っていた名前は、どれもこれもクライブが秘書生活をしていた中で比較的付き合いの多かった相手ばかりだった。
 それを見取った時点で、本当の目的をカモフラージュしようと腐心したのだろうことはわかった。実際、もし渡されたリストにクライブともジョージーナともあまり付き合いのない人物の名前が載っていたならば、二人揃って却下していたに違いないのだ。そして、そんな結果を当然の事として知るからこその、この可愛らしい策略なのだ。
「でもクライブ。やっぱり誰がどう考えても不自然極まりないじゃない。あなたへの壮行会兼私たちの子供ができたことを祝う会“ごとき”に、どうしてこんなにも豪勢な顔ぶれが揃う必要があるというの?」
「それには僕も同感だ。だけどこれが、あの人流の祝い方なんだよ」
 まったく、不器用な方だと苦笑する夫に同調して、そっと窓から会場を臨む。
 見下ろす先ではジョージーナたちが招待した仲間たちや友人たちが、通常ならば声をかけるどころか近づく事すらもできないような大人物たちへと、緊張の気配を保ちながらも興奮した様子で話しかけている。
「まあ、これを機に彼らにも場慣れしてもらっておこうか。一応代表は僕だからパーティの類には僕たちが出席するけれど、今回上手く顔繋ぎができたなら代理出の出席を頼みやすくもなるだろうしね」
「……そうね。どの方も、こちらが酷くへまをしない限りは暖かく見守ってくださる方たちだもの。友人になるのは難しくても、メンターぐらいにならなってくれるんじゃないかしら」
「――まあ、かなりスパルタな人たちがちらほら混じってもいるけどね」
 くつくつと喉の奥で笑う夫は意地の悪い顔になっている。きっと自分自身がその洗礼を受けてきたからこそ出てきたセリフなのだろう。心強いというべきか、“犠牲者”に哀れみをかけるべきか――いや、ここは口を出せる距離で見守るべきだろう。彼らは経験こそ少ないかもしれないがいい大人なのだし、そうやって揉まれてこそ人は成長するのだ。
「さて、そろそろ下りていこうか。ゲオがまた邪魔をしにやってきかねない」
「邪魔って、クライブったらもう! ――でも、そうね。私もそろそろお客様たちにご挨拶しに行きたいわ」
 頷いて差し出される手をそっと握る。
 この暖かく力強い手を、一度でも放そうとした事が今となっては信じられない。
 あの当時でさえクライブはジョージーナにとって何よりも大切な人だった。けれど大切にしすぎたせいで、未熟な心は幾度も間違った結論へと飛びつこうとした。その度に彼は、そうではないのだと、大切なものを守る方法は他にもあるのだと繰り返し辛抱強く教えてくれた。そのおかげで今があるのだ。
 きゅ、と、握る手に力をこめる。どうかしたのかい、と問いかけてくる優しい目に微笑んで、ジョージーナは告げる。
「この手を離さないでよかったって思ったの。あなたが私を諦めないでくれてよかったって。私、今、すごく幸せよ」
「ジョージーナ……」
「愛してるわ。あなたも、この子も。とてもとても愛してる」
 唐突な愛の告白へのお返しは、甘い甘い口付けだった。

* * *

 はっきりとした開始の合図もなく穏やかに始まった会は、ゲオルグが目論んだようにクライブの仲間たちと各界の有力者たちを結びつける役割をきっちり果たしてくれたらしい。よく知る人々と、何度か顔を合わせただけの人々の間を行き来しながら、上院議員は満足げに笑った。
 自分の企みが主役の二人には筒抜けなことなどはじめから知っていた。二人が、自分たちがゲオルグの目論見に気づいていることを隠そうとしていたことも、だ。
 まったく、なんと可愛らしい子たちなのだろう!
 ゲオルグにとっては法律上は認められずとも遺伝子上は正しく自分の娘であるジョージーナも、元秘書で将来は娘婿に迎えて行く行くは後継者にと目をつけていたクライブも、等しく特別な存在だった。
 公に娘とも息子とも呼べない彼らには、一歩どころか二歩も三歩も離れた位置から接しなければならないし、そもそも彼らにかける愛情は、エレオノールとの間に生まれた娘たちに対するものに近くはあるが、けっして同じではありえない。
 それでもできる限りのことはしてやりたいと顔を出す親心を抑えるのは至難の業だ。特に今後はこれまで以上に節度を持って距離を測らなければならないとなれば、少しばかりお節介が過ぎたとしても許されて然るべきだろう。
 緯度の高いボストンの秋は、夕暮れの訪れるが予想外に早い。日の光が黄金を纏いはじめた事に気づき、ゲオルグはワイヤーに吊られた布で背景を作っただけの簡易な舞台へと足を向けた。
 乾杯の音頭と今日の主役である二人への祝いの言葉を述べるためにのみ使われ、その後はずっと放置されていたマイクを握る。それだけで、特に案内や合図もないのに自然と会話が収まり、視線が集まった。
 周囲の目を否応なく惹きつける類のカリスマは持っていないと自覚している。それでもこうして人前に立ちさえすれば、注目を集めるだけの影響力を持つと自覚してもいた。
 軽く咳払いしてマイクの調子を確かめると、ゲオルグはいつもの調子で穏やかに口を開いた。