かぶ

君だけの僕 ― 秋の夜長に夢を見る 01 ―

「うん、おいしかった。いつもありがとうね、克己」
「いえいえ、お粗末さまで」
 目の前に並べられていた料理をきれいに平らげてごちそうさまでしたと手を合わせるワカに、僕もぺこりと頭を下げながら返す。二人で暮らすようになって、きちんと自炊ができるようになってからの変わらない習慣。
 フローリングの床にシンプルなベージュのカーペットを敷き、その中心に一メートル四方のローテーブルがひとつと色違いの座椅子が二つ。座椅子はテーブルを挟んで対面になるようにおいてある。隣り合う事はできないし、過度を挟んだ二辺に座るのも試した事があるけれど、顔が見にくいわ食べにくくなるわで結局今の形に落ち着いた。
 テレビはあるけれど番組を見るためっていうより映画を見るためのものだから、大抵はコンセントを抜いている。電気代も馬鹿にならないしね。
 二人で暮らしはじめてからが長いから、二人とも一般的な家庭料理は作れる。当然だけど、味の基本は僕らが育った養護施設のものと給食、それから限られた友人たちの手によって供された手作り料理だ。中でもりっちゃんとよりちゃんの手料理には特にお世話になった。
「でも、本当に上達したと思うよ。最初の頃はお互い酷かったもん」
「そりゃあ自炊し始めてから八年も経つんだもん。上達しなきゃおかしいよ。それに高校に入って自炊し始めるまでは、二人とも家庭科の調理実習とか飯ごう炊さんぐらいでしか料理なんてした事なかったでしょう」
「まあね」
 苦笑混じりに同意しつつ、ワカがふと感慨深げな顔になる。
「そっか。もう八年にもなるんだ。高一の夏からだもんね」
 中学を卒業すると、ワカは市内の普通高校に、僕は同県内の高等専門学校に通う事になった。彼女は高校に程近い安アパートに住み始め、僕は高専の寮で暮らし始めた。
 それまで同じ建物の中で暮らしてた上に同じ学校に通っていたから離れている時間なんてほとんどなかったのに、突然生活も学校も何もかもが別々になったのだ。電話代だって馬鹿にならないし、お互いにバイトがあったからまともに会えるのは週に一度か二度程度。
 寂しく思っていたのは僕だけじゃなくてワカも同じだったみたいで、それまでは一緒にいられればそれでいいってだけだったのに、離れ離れになってから一ヶ月後には、世間で言うところの彼氏と彼女になっていた。
 夏休みになるまでは週末にワカの所で泊まって週明けには寮に帰るという生活をしていたのだけれど、夏休みの間ずっと一緒にいてしまったせいでお互い離れられないのだと自覚した。だから僕は寮を出て、ワカと一緒に暮らす事にした。
 それ以来、進学や就職を期に引越しをする事はあっても、僕たちはずっと一緒に住んでいて、一緒に生きてきた。ワカが僕以外の人を選ぶ日が来ない限り、きっといつまでも一緒に暮らしていくのだろうと思う。
「そう。八年間。経験値が増えるのは当然じゃない」
「けどさ、あたしより克己の方が経験値高いと思う。ご飯でしょ、食器洗いに掃除洗濯。どれをとってもあたしよりてきぱきできちゃうんだもん。本当、いいお嫁さんになれそうだね……」
「お嫁さんか。うん、僕、ワカにならお嫁にもらってほしいかな。主夫になって家の事全部請け負うよ」
 実はこれまでに何度か考えた事があった。僕はプログラマで、その気になれば在宅でも仕事をする事はできるし、実際入社してから一年ちょっとした頃、とある事情からほんの数ヶ月だけどそういったやり方で仕事をしていた事もある。だからできないわけじゃない。
 できないわけじゃないのだけれど……
「克己、そうやって現実逃避するのはダメだっていつも言ってるでしょう? ただでさえ引きこもり性質なのに増長させてどうするの」
 きっぱりと、しかしどこか宥めるような声で告げると、ワカはテーブルをぐるりと回って僕の傍らに膝をついた。
「ワカ?」
 なんだろう、と不思議に思って首を傾げていると、すっと持ち上げられたワカの手が服の上から僕の骨格を辿り始める。
「……うん、ちょっとは戻ってきてるみたいね」
「そう?」
「骨の周りに肉的なものがあるもん」
「肉的ってナニ? 肉は肉でしょう?」
「克己の場合、そうとは言い切れないからなぁ……脂肪なんてこれっぽっちもないし」
 唇を尖らせつつもさわさわと身体の尖り具合を確かめるワカの目はとても真剣だ。
 まあ、当然だろう。夏が終わるまでに、僕はまさしく骨と皮だけという表現がぴったりなくらいに痩せこけてしまったのだ。
 もちろん夏ばても体重減少の原因ではあるけれど、一番の理由は心労だ。
 ストレスのあまりまともな食事が喉を通らなくなってしまって、連日のように湯豆腐だとかソーメンだとか冷麺だとか、つまりは喉を通りやすいものばかりを食べていた。当然固形物の代表である肉なんて食べられるはずもなく、週単位どころか日単位でやつれていくのが自分自身でもわかった。
 ストレスの原因が何かなんて、訊かれるまでもない。職場にいる例の女性以外に何があるというのだろう。
 あの日――あの夕立の日、僕はきっぱりと引導を渡したつもりだったのだけれど、どうやら僕の考え方が甘すぎたらしい。
 実際のところ、一旦は収まったように見えたんだ。むやみやたらに追い掛け回される事はなくなったのだから。
 その代わり、彼女は絡め手で攻めてくるようになった。
 社交的な彼女は旅行好きらしく、同じ趣味を持つ友人をたくさん持っているらしい。夏に入ってから毎週のように週末旅行に行ったお土産だとか、友達からもらったそれらを会社に持ってきては配り歩くのだ。
 それが全体に対して平等にであるのなら、そう、他の人たちに配っているのと同じ地方特有のお菓子だけならば、僕だって受け取るのにやぶさかではない。だけど彼女はそういったものの他に、僕だけに何か特別なもの――それも食べ物とかではなく形として残るキーホルダーや置き物、写真立て、ぬいぐるみなど――を渡そうとするのだ。
 その度に僕は断ろうと努力するのだけれど、彼女は実に僕より一枚も二枚も上手で、あえてまったく関係のない人たちの前でそれらを渡そうとするのだ。
 事情を知る同僚たちであれば僕がどんなに迷惑をしているのか理解をしているから味方をしてくれる。
 けれどそうでない人たちの目には、きっぱりと拒絶しようとしている僕の方が悪者として映ってしまう。特に彼女が『宗谷さんのためにわざわざ買ってきたんです』なんていいながら、フェイクの涙目で見つめてきたりなどしている場合には殊更だ。
 そんなわけで渋々ながら受け取らされた望まぬ土産物が、僕のロッカーの足元に山となりつつある。
 その、無理やり受け取らされた初回、その直後にゴミ箱へと投げ入れようとしているところを運悪くも本人に見つかってしまったため、捨てるに捨てられずにいる。
 きっとこれらを持ってかえっても、ワカは「どうしようねぇ」と苦笑で赦してくれるだろう。だけど僕が嫌なのだ。異分子でしかないモノを僕らだけの空間に持ち込むのが。
 ある程度増えるたびに適当な箱に詰めて近くのコンビニから僕らが育った施設に送りつけ――もとい、寄付をしたりしてはいるんだけど、それでもやっぱり、見たくないものが自分のロッカーのなかで存在を主張してたり、週明けごとにいらないものを押し付けられる生活というのは、正直なところ想像以上にストレスが溜まる。
 その前の、追い掛け回されていた頃からして体重を落とし始めていたのに今度はこれだ。自虐的だとは思うけれど、いっそ自分自身ですら笑ってしまいそうな勢いでまずは食欲が、続いて体重と肉が落ちたのだ。病院で点滴のお世話にならなかったのは奇跡に近い。
 まあ、さすがにあんまりにも目に見えて状態が酷くなったからには彼女も自分がどれだけ僕に悪影響を与えているのか気づいたらしく、お盆休みの後はお土産攻勢もなくなった。けれど正直、すでに彼女は僕にとって精神的アレルギーの原因となっている。