まだどこか痺れたようになっている身体を何とか動かして俊哉の方を向くと、真奈実は率直に切り出した。
「ね、俊哉君。喉、渇かない?」
「うん? ……ああ、言われてみれば確かに。ミネラルとスポーツ、どっちがいい?」
「飲みやすいからスポーツドリンク」
「わかった。すぐ取ってくる」
にっこりと笑ってベッドから出て行く俊哉の動きに不確かなところはまったくない。バスローブを羽織り、今度はきちんとサッシュベルトも締めた上で部屋を出て行く俊哉を見ながら、真奈実は起き上がれるかすら不確かな自分を思ってなんだか不公平だと呟いた。
「マナ、どうかした?」
「んー……別に。それよりドリンクちょうだい?」
二リットルのボトルごと持ってきた俊哉を見て身体を起こそうとするが、その動きをあっさりと封じられる。
「じっとしてて。まだしんどいでしょう?」
言いながらサイドテーブルにボトルと二つのグラスを載せ、大き目の枕を二つに折ってヘッドボードにもたせかけると、俊哉は壊れ物でも扱うかのような動きで真奈実の身体を抱き上げた。枕にもたれるように真奈実を座らせてから、グラスに注いだスポーツドリンクを渡す。彼女がしっかりとグラスを持って、んくんくと飲み始めるのを見てから俊哉も自分のグラスに口をつける。
こんな風に、とても自然に気遣ってくれるのが嬉しい。とても大切にされているみたいで。
他の誰とも共有する事のない二人だけの空間があるという、こんな些細な事実がどうしようもなく嬉しい。
「――何、思い出し笑いしてるの?」
「え? わ、笑ってた?」
「うん。なんかすごく嬉しそうに。どうした?」
「え、別に大した事じゃないのよ? ただ、その……幸せだなぁって」
その言葉を口にするだけで、また、自然と口元が緩む。僅かに目を瞠って真奈実を見つめていた俊哉は無言で真奈実からグラスを取り上げるとサイドテーブルに戻し、衝動に任せて彼女を抱きしめる。
「きゃっ! ちょ、俊哉君!?」
「ああもう、どうして君はそんなにまで僕をかき乱すかな? これ以上君を好きになれないっていつも思うのに、その限界を簡単に突破させてくれる。まったく、本当に君は――」
その先の言葉を真奈実は聞けなかった。代わりに甘い口付けと、どこか性急な俊哉の熱い身体が、彼の想いを十分すぎるほど教えてくれた。
大学院生である俊哉は、毎日学園に通う必要はない。特に論文と学会準備が終わったこの時期は、ゼミすら出なくても文句を言われないぐらいだ。
けれど次の論文があるとかなんとか理由をつけて、出勤する真奈実と一緒に家を出た。
――そのココロは、単に真奈実と一緒にいたかったという、ただそれだけ。
「それでもさ、俊哉君は別に朝早くから起きなくてもいいのに。色々疲れていたんでしょう?」
「うん、まあね。でも睡眠なら、一昨日の夕方から昨日の昼過ぎまで十分に貪ったからね。今の僕には、休息よりも真奈実が必要」
「……だから、どうしてそういう事をさらりと言うかな……」
四年もの間、俊哉のこういった台詞にさらされておきながら、いまだに慣れずにいる真奈実が俊哉には可愛らしくて仕方がない。けれどさすがに公道で抱きしめるのはアレだから、うずうずする腕を拳を強く握る事で押さえ込む。
「そうだ。ねえ、マナ。確かお盆は空いてるんだよね?」
「ん。実家はそんなに遠い距離じゃないし、第一夫婦水入らずで旅行に行くとか言ってたし。まったく、どうせなら娘も連れて行きなさいよねー」
軽く唇を尖らせる真奈実に小さく笑い、ならさ、と続ける。
「うちに、来ない? ――ああ、うちって実家だけどね。母さんが帰省するならマナも連れておいでって」
「……いいの?」
「当然でしょ。お誘いされてるんだから。……まあ、連れていったらみんながマナを独占しようとするのが面白くないけど、帰省している間中離れているよりははるかにましだし」
だから行こう?
どこか甘えるような、そんな表情で見つめられて嫌だといえるはずもない。
「じゃあ、お邪魔させていただくね」
「うん。なら母さんにも伝えとく。……よかった。これでマナと離れないですむ」
茶目っ気たっぷりに付け足す俊哉に、真奈実は夏の日差しよりまぶしい笑顔を浮かべた。