かぶ

Truly Madly Deeply - 07

「――ああ、そうか。隆、彼女の古巣に関係のあるところで顔を合わせたのか」
 完全に固まっている隆を見て、やっぱりね、と洋司が笑みを浮かべる。そんな二人の顔を見比べて、秀人も得心が行ったように頷いた。
「なんや、そういう事か。そういうワケやったら確かに隆にはそう簡単に白状できんわな」
「……どういう意味だよ」
 なんとか搾り出した声は、まるで地を這うかのように低い。けれど秀人は大して気に止めた様子もなく、あっさりと答える。
「だって隆、妙なとこで気にしぃやもん。しかも躾がええせいで無駄にジェントルマンやし。……せやけど峰倉の事やったら、俺らの学年軒並み知っとるんやから別に言うてもよかったんちゃう?」
「学年軒並み? マジで?」
「当たり前やん。去年の夏前の一件で、ごっつう噂になっとったやろ? 知らん奴はむしろモグリのレベルやと思うけど」
「……悪かったなモグリで」
 むっつりと吐き捨ててカフェラテに口を付ける。二人から無遠慮に突き刺さってくる視線がちくちくと痛い。
「――嘘やろ? それ、いくら何でも笑えへんで?」
「お前と違っていつでもどこでも笑いを取ろうとするような趣味はねぇよ。……俺は、本当に知らなかったんだ。藍染学院で峰倉と会うまで」
 言い訳がましいとは思いながら言葉を返す。どんぐり眼とか呼びたくなるぐらいまん丸に目を見開く秀人に鋭い一瞥を投げ、無言のままカフェラテに意識を集中させた。
 そうだ。隆はあの日まで、依子の事をほとんど何も知らなかった。ただ、遠くから見ているだけだった。
 その事をを思えば、今の状況はどれほど恵まれているのだろう。依子と気軽に言葉を交わすようになっただけでなく、週に最低でも二日は「みやまえ」で働く依子を見ながら夕食を摂り、依子の仕事が終わった後は彼女の部屋で話をしたり勉強をしたりと親密な時間を過ごせるようになったのだ。
 最近では部活が終わった後に「みやまえ」に寄るかどうかの連絡を入れるためという名目で、携帯のナンバーとアドレスも交換した。まあ、実際にその目的以外で連絡を取った事はまだないのだけれど。
 無邪気な依子にうっかり理性が崩壊しそうになる事も時折あるが、そこはなんとか抑えている。他の連中より一歩も二歩も踏み込んだところまで近づけたというのに、迂闊な行動でせっかく手に入れたあの居心地のいい場所を失うのは絶対に嫌だった。同じ理由で思いを告げる事もできずにいるあたり、自分は意外に小心だったのだなと微かな自嘲が胸に浮かぶ。
「ふうん。じゃあ、峰倉、嬉しかっただろうね」
「……せやから洋司、お前喋る時は前後の脈絡つけてからにしろっていつも言うてるやろ!」
 隆をじっと見つめながら抹茶ラテを飲んでいた洋司の唐突な言葉に、秀人がすかさずツッコミを入れる。まったく誠意の感じられない調子でごめんごめんと返した洋司は、隆へと視線を戻して言葉を続けた。
「ほら、峰倉って表面上は気にしてない風だったけど――いや、もしかすると本当に気にしてなかったのかもしれないけど、それは前提条件として自分の事はみんなに知られてるって意識があったからだと思うんだよね。だから僕達みたいに生まれとか素性とかどうでもいいって人間が声をかけても、どこか一歩引いてる感じがあったんだ。だけど彼女、隆と話している時は、その一歩引いた感じがないからどうしてだろうって思ってた」
 思いも寄らなかった洋司の言葉に、隆は思わず目を瞬かせる。
「そうなのか?」
「うん。まあ、あくまで僕が見た感じでは、の話だけど」
「ああもう洋司、お前いっつも一言多いっちゅーねん!」
 最後の最後でオトす洋司に秀人が手刀付きで盛大にツッコミを入れる。避けもせず叩かれた洋司は、痛いなぁと小さく苦笑した。
「……ま、ええんちゃう? はじめに話してくれへんかった事はちょい不満やけど、事情が事情やし、しゃあないって認めたる」
「別に君に認めてもらうも認めてもらわないもないんじゃない?」
「うっさい! ――とにかく、オレは隆の応援するさかい、なんぼでも声かけてや?」
「僕もだよ。いつでも力になるから」
 こういう時、彼らがいてよかったと心底思う。
 他の連中は隆の親の肩書きにばかり目を向けているけれど、秀人と洋司だけは隆自身を見てくれていて、その上で隆の力になろうとしてくれる。近頃ではすっかり重みを失った友情というものがまだ存在するのだなと、改めて実感する。
 それにしても、と、隆は胸中で呟く。どうやら隆と依子の距離が近くなった事は周囲に知られているようだけれど、さすがに隆が彼女の部屋に上がったりしているとまでは知られていないらしい。
 秀人や洋司の二人が相手であれば、別に隠す必要はないかと思う。二人とも他人のプライベートを触れ回るような人間じゃない。けれどだからといって、自分の恋愛進捗状況を逐一報告しなければいけないとも思わないし、何より依子と過ごす時間については二人だけが知っていればいい。
 素直に応援しようとしてくれている彼らに隠し事をするのは正直心苦しかった。そんな思いをごまかすため、というわけでもないが、深い息を一つ吐いて友人二人に視線を向ける。
「……ありがとう」
「何言うてんねん。友達やねんから当然やろ」
 そう照れたように告げた秀人は、しかし次の瞬間にんまりとしか表現できないような笑みを浮かべた。
「――それにしても隆、まさか思うけど、お前これが初恋やったりせぇへん? これまで俺、聞いた事ないで?」
「そういえばそうだね。これはもしかして、おめでとうと言うべきところなのかな?」
「なっ、お前ら、一体何の話して――!?」
 さっきまでの真剣な空気は、一瞬にして綺麗さっぱり消え失せていた。あまりにも唐突な話題変換についていけない隆へと、これ以上にないほど楽しげな表情を浮かべた秀人が身を乗り出す。
「高校二年生になって初恋やなんて可愛えやないか。今日はとことん、聞かせてもらうからな?」
「だ、か、ら、何の話だって聞いてるんだ! 洋司、お前もこの馬鹿何とかしろよ!」
「ごめんね、隆。残念だけど、この件については僕も興味津々なんだ。さっきの様子からすると、どうやら噂以上の進展があるようだしね。悪いけど今回は秀人に便乗させてもらうよ」
 援軍を求めて振り返った隆に、洋司は実に綺麗な笑顔を向けた。
「へぇ、それはええネタやな、洋司。ほな、何から聞かせてもらおかな~?」
「秀人、隆は誘導には弱いから、正面から攻めるよりは絡め手の方がいいと思うよ?」
「せやな。んじゃそういう方針で行くとして……」
「くそっ、やっぱりお前らなんか頼らねえ! もう帰るからな!」
「待て待て待て。急いで帰る用もないんやろ? ええから付き合えや」
「そうそう。たまにはこういうのもいいだろう?」
「いいわけない! お前ら人で遊んでんじゃねえよ!」
「んなもん、こーんなおちょくりまくれるネタ提供した自分が悪いんやろ。ほら、諦めて座れ。な?」
「な? じゃねえって。つか洋司も傍観してんなよ!」
「――だけど隆、僕まで参加したら、確実に追い出されるよ? すでにかなり注目浴びてるけどいいの?」
 冷静な洋司の言葉に、秀人と隆がぴたりと動きを止める。
 しんとした店内を見回せば、客も店員もたった今まで押し合いへし合いしていた二人をじっと見つめていた。
「…………」
「…………えーと」
「……とりあえず、座ったら?」
 洋司の言葉にすんなりと従い、隆と秀人はそれぞれの席に腰を下ろす。それを契機に店は元の穏やかな空気を取り戻す。
「……お前のせいだからな」
「何言うてんねん。お前が諦め悪いからやろが」
 小声で責任を擦り付け合う二人に、ぬるくなった抹茶ラテを一口啜り、洋司がぽつりと告げた。
「どっちもどっち、目くそ耳くそ、五十歩百歩」
 さすがにこれには返す言葉もなく、二人は苦い顔でそれぞれの飲み物へと手を伸ばした。