かぶ

巡り合いの言葉 - 02

 よろしければ奥でお茶でもと言う女将の誘いを、多少図々しいかと思いながらも受けた秀人は、店から続きになっている居住部の居間に上がらせてもらっていた。
 基本的には立場だとかTPOだとか社交辞令だとかを気にする性質なのだが、正直なところもう少しあの見事な啖呵を切った少女について、知ってみたいと思ってしまったから、図々しくも誘いを受けたのだ。とりあえず、今のところぶぶづけは出てこなさそうだと、密かに胸を撫で下ろす。
 店と同じく純和風の造りになっているその部屋は、古風ながらも質のいい家具が調えられていた。さりげなく駆けられている軸や飾られている置物は、素人目にも名の知れたものだと知れた。
 女将と一緒に奥へと引き上げた要は、言われる前から台所に入り、大して待たないうちに三人分のお茶とお茶菓子を運んできた。丁寧な慣れた手付きで茶を配るその姿を、秀人は無意識にじっと見つめていた。
 要が配膳を終え、自分の傍らに腰を落ち着けるのを待って女将は改めて口を開いた。
「それにしても、うちの要がご迷惑おかけしてほんまに申し訳ありまへん」
 す、と綺麗な動作で頭を下げる彼女に、秀人は慌てて手を振る。
「そんな、頭下げんでください。そりゃあ多少驚いたのはほんまですけど、こんな若い女の子に旦那候補として名前挙げて貰えてむしろ光栄でしたよ」
「ほんまに? そう言うて貰えたらうちも嬉しいです」
 秀人の言葉に驚いて目を丸くした女将の隣で、少女はからりと笑う。そして自然な動きで両手を付き、秀人に向かって自己紹介をした。
「改めまして、坂下(さかした)要言います。今後ともよろしゅうお願いします」
「あ、これはどうもご丁寧に。オレは刑部秀人です」
 驚くほど綺麗に頭を下げる要につられて秀人も頭を下げる。
「秀人さんて言うんですね。ずっと名字しか知らへんかったから、どんなお名前やろおもて、勝手にいろいろ想像してたんです」
「そうなん? 知った感想は?」
「すごい、ぴったりや思います。刑部さんらしい言うか」
「そら、おおきに。オレも自分の名前、結構気に入ってんねん」
 なにやらやけにすんなりと会話が盛り上がるのを、女将の溜め息が押し止める。
「要、お客さん相手に何遊んでんの。それにあんた、いつ刑部さんの事知らはったん?」
「えっと……多分、刑部さんが初めて来はった時や思う。姉さん方が『すごい男前のお客さんがいはる』てきゃあきゃあ言うてたから、便乗してお店覗いたんよ。名前は皿の上げ下げに行った時に裕美子姉さんが偶然聞いて、みんなに教えてた」
 あっさりと知らされた事実に、女将が呆れた顔になる。
「あの子らそんな事してたのん? 困った子らやなぁ……」
「でもしゃあない思うやろ? こんな男前の人、そうはおらへんし。姉さん方が騒いでも別におかしないやん」
 あまりにもあっけらかんと男前認定された秀人は照れるのを通り越して苦笑する。その表情に女将が気づかぬはずもなく、表情を一層渋くした。
「要、ええかげんにしい。刑部さん困ったはるやろ」
「別に不細工やとか言うてるわけちゃうんやし、男前言うてもかまへんのちゃう? それにおばちゃんも、うちが思てもない事言わへんって知ってるやろ?」
 少女の瞳が一瞬で真剣味を帯びる。それを真正面に見つめ、女将ははっと息を呑んだ。
「――あんた、ほなさっきの事……」
「本気や。うちが芸妓になる事があれば、刑部さんに旦那になってもらいたいて思うてる」
 きっぱりと頷いた要に、女将は今度こそ本気で目を剥いた。驚きのあまり、返す言葉も出てこないらしい。
「まあ、それもこれも刑部さんがうちを貰ってやってもええ思てくれたらの話やけど」
 そっと笑って、要は秀人に視線を向ける。
「こない突然旦那云々言われてもなあ……要ちゃん、やっけ? さっき中学生や言うてたけど、ほんまのところ何歳なん?」
「今は中学一年です。誕生日がまだやから十二ですけど、九月には十三になります」
「……店で見た時も思たけど、そんな年齢には全然見えへんね。絶対高校生や思てた。しっかりしてるし大人びてる。何、今時の中学生ってみんなこうなんですか?」
 会話を女将に向けると、どこか放心したように二人を眺めていた彼女は、はっと我に返ったように瞬きをした。
「小さい頃から大人の間で育ちましたから、要はどうしても子供の頃から子供らしないんです。ほんまに、うちがもう少しこの子に構ってやってれば良かったんやけど……」
「何言うてんの。おばちゃんと姉さん方の教育がええからこんなええ子に育ったんやない」
「ほんまのええ子は自分で自分の事ええ子とか言わへんの」
「うちは自分の事よう知っとるだけです。ちゃんと家の手伝いもするし、必要やったら店の手伝いもする。こんなええ子、他には中々おらへんで?」
 これっぽっちの悪びれもなく答える要に、秀人はとうとう堪え切れず吹き出した。
「刑部さん、何笑ったはるんです? うちらそんな変な事言うてました?」
「いや……あんまり息おうとるから……」
 くつくつと声を抑えて笑う秀人に毒気を抜かれたらしい。ぴっと姿勢を伸ばして正座をしていた女将がゆるりと足を崩し、諦めたような溜め息を吐いた。
「ほんま、一体誰に似たんやろねぇ。茜(あかね)姉さんはもっと控えめな人やったのに」
「だからうちが似てるんはおばちゃんやていつも言うとるやん。薫(かおる)姉さんなんか、うちのほんまの母親はおばちゃんなんちゃうんかて真剣に言うてるし」
「要。そういう事は冗談でも言わんのよ。茜姉さんにも姉さんの旦那はんにも顔向けできんなるやろ」
 ぴしゃりと切り付けられ、要が神妙な表情でごめんなさいと頭を下げた。こんなところからも、彼女がしっかりした躾をされてきているのだなと窺い知る事ができる。こんな子、本当に今時中々いない。
「――さっき店で預かり者とか言うてましたよね。要ちゃんと女将は親戚か何かなんですか?」
 こんな事を訊くのは、もしかしなくてもかなり不躾な事なのではないかと思いつつ、秀人は訊かずにはいられなかった。返答を渋られるだろうという内心の予想を裏切って、女将はあっさりと首を横に振った。
「そういうんとはちゃいます。うちが昔お世話になった姉さん――茜姉さん言わはるんやけど、要はその人の娘です。茜姉さんはうちと違てええ旦那はんに巡り合えて幸せになりはったんやけど、不運にも身体を悪うしてしまいはりまして、この子がまだ小さい時に儚うなってしまいましたんや。あの頃は当時の旦那と別れてしもて他にする事もありまへんでしたし、お世話になった恩返しがしたいからてうちが強引に姉さんの看病とこの子の世話をさせてもろたんです。ほしたら茜姉さんにやけに信頼されてしまいましてね……終いには、自分に何かあったら要を頼むて頭下げられてしもたさかい、父親の、この子を引き取りたいて言葉を撥ね付けてまで、うちが引き取りましたんよ」
「……うち、まだ小さかったけどそん時の事覚えとる。おばちゃんが父さんをまっすぐに見返して、『あんたさんを信用しとらんわけはありません。せやけど要が肩身狭い思いするのは耐えられんのです。この子はうちが育てます』ってきっぱり言うてくれたから、うちもおばちゃんとこ来ますて迷わんと言えたんや」
「要……」
 二人を包む柔らかな空気に、秀人は静な笑みが頬に上るのを感じた。こんな信頼関係、最近では実の親子の間にも中々ない。
 素直にいいなと、そう感じた。
「あんたのその芯の強さは茜姉さん譲りやね」
「うちが母さんから受け継いだんはそれだけちゃうで。人を見る目も受け継いでるて、うちは思てる」
「――要、あんた……」
「母さんも、うちと同じ歳で父さんと巡り合うてこの人やて決めたんやろ? そんでその想いを貫き通した。うちも同じ気持ちなんや。刑部さんを初めて見た時、この人やて直感した。そら、まともに話した事もあらへんさかい、どんな人かまでは知らへん。せやけどはっきり思ったんよ。この人以外におらへんて。うちがまだ子供やとか、年齢が離れすぎてるとか、そんだけの理由じゃ諦められへん」
 ぎゅ、と唇を硬く噛み締めて、驚くほどの強さで要は秀人を見つめた。
「うちはまだ中学生やし、刑部さんから見ても十分すぎるほど子供や思います。けど、あと三年もすれば高校生になりますし、六年後には大学生や。おばちゃんや姉さん方、それに板さんたちからも色々教えてもろてるさかい、家事全般はそこらの人には負けへん思てます。刑部さんがうちを隣においても恥ずかしい思いせえへんように、勉強も作法もきちんとがんばるつもりです。――それでもやっぱり、望みありませんか? うちの事、待っててはもらえませんか……?」