かぶ

真実の目覚める時 - 02

「それは……」
 またしても投げられた息子の率直過ぎる疑問に面くらい、マデリーンは一瞬言葉を失った。
「政略結婚でも、恋愛結婚でもないのならどうして? まさかできちゃった――」
「やめて、アマデオ! それは絶対にないわ! まったくもう、どうしてそんな事を考え付くのかしら」
「だってそれ以外に考えられないじゃない! 他に何があるっていうのさ!」
 焦れたように唇を尖らせる少年の頬をそっと撫でながら、彼女はベッドの向こう、窓の外に広がる冬の枯れ果てた空へと視線を向けた。
 ここは真実を告げるべきだけれど、どこまで話せばいいのだろう? どう話せば、息子に誤解を持たせる事なく全てを告げられるのだろう?
 けっして短くない間考えたものの、いいアイディアは浮かばなかった。下手に隠そうとすれば聡い子供は秘密の臭いを嗅ぎつけ、いらない邪推をしかねない。それくらいなら全てを洗いざらい話した方がいいだろう。
 そう。彼にごまかしは利かない。何より、真実を求めてくる息子に嘘を吐くなんて、そんな真似はしたくない。
 諦めの息を静かに吐き出し、彼女は重い口を開いた。
「……あなたのお父さんは、早いうちから結婚して息子を作る事を周囲から求められていたの。あなたも知ってるでしょう? お父さんのお父さん――あなたのお爺さんが昔、大変な病気にかかっていたって」
「心臓の病気だよね。何度も大きな手術をしたんだっけ」
「ええ、そうよ。そしてね、お爺さんはあなたのお父さんになるべく早く結婚して、跡継ぎとなる孫を抱かせてほしいとお願いされたの。それも親族一同がずらりと揃った場で。だからお父さんは、すぐにでも誰かと結婚して子供を作らなければならなくなったわけ」
「なら、どうして父さんは母さんを選んだの?」
 さあ来た。マデリーンは胸の中で呟き、深く息を吸い込んだ。
「お父さんが何を思ったのかは、私にもよくわからないわ。ただ、私もね、早く結婚しなきゃならない事情があったの」
「事情? どんな?」
「今はそうでもないけれど、私が結婚した頃は女の人はハイスクールを出る年になったらさっさと結婚するっていうのがまだ主流だったの。学問とかキャリアを積むより、家庭に入る方が重要って感じかしら。それにうちの一族は早婚が多い中で私は大学を出たりしてしまったものだから、まだ二十二、三歳だったのに、嫁き遅れ扱いされちゃっていたの」
「ええ!? なんだよそれ! そんなのナンセンスだ!」
「でしょう? 私もそう思ったのだけれど、周囲は古い考え方を持つ人ばかりだったし、ヘスターがハイスクールを出ると同時に結婚しちゃったものだから余計に風当たりが強くなってしまったのよ……妹に先を越されるとは何事だって、もう針のむしろどころじゃなかったわ」
 大げさなくらい盛大に溜め息を吐いて首を振ると、アマデオも同調するようにぐるりと目を回した。
「そんな私の状況を知って、お父さんが救いの手を差し伸べてくれたってわけ」
「……つまり、父さんも母さんも結婚しなきゃならなかったから結婚したってわけ?」
 複雑な表情になるアマデオに、マデリーンは溜め息と共に首肯する。
「そうね。一言で表すなら、そうなるわね」
「じゃあ……じゃあ、父さんも母さんも、愛し合ってはいないの?」
 僅かに低められたその声から、マデリーンはなぜ彼が突然こんな事を知りたがったのか、その理由にはっきりと気づいた。
 胃が引き絞られ、心臓が切りきりと痛む。なんという事だろう、愛する息子にそんな事を思わせてしまっただなんて!
「アマデオ、あなたは間違っているわ! 私もあなたのお父さんも、あなたをとても愛している。あなたは私達に心から望まれて生まれてきたのよ!」
「だけど……だけど父さんと母さんは愛し合っていないんでしょう?」
「――そうね、確かにお父さんは、私を愛していないわ」
 言い募るアマデオに、マデリーンは寂しげな笑みを浮かべる。それから少し考えて、彼女は彼女にとっての真実を打ち明ける事にした。
「それでも私は、あなたのお父さんを愛しているの。はっきり言わせて貰うけれど、私にはなんとも思わない人と結婚して、その人の子供を産むなんて真似、到底できないわ。あの人に……ランドルフにプロポーズされた時、私は天にも昇るような気持ちだった。それは愛情からの言葉じゃないってわかっていたし、はっきりと明言されもしたけれど、彼の息子を産んで、一緒に育てていけば、いつかはきっと愛されるかもしれないって、そう願ったの。……まあ、その願いは見事に砕け散ってしまったのだけれど」
「母さん……」
 小さな手が、マデリーンの手をきゅっと握る。その気遣いに打たれ、彼女は息子の細い身体をもう一度強く抱きしめた。
「アマデオ、お願いだから信じてちょうだい。私はあなたも、あなたのお父さんも愛しているの。この世で一番愛する二人の男性と一緒にいられるだけで、私は幸せなの。時々、哀しくて苦しくて仕方なくなる時があるけれど、それでもあなた達と暮らせるというそれだけで、私はちゃんと幸せなの」
「……本当にそれでいいの? 父さんに、ちゃんと愛してって言わないでいいの?」
「いいのよ。だって、私はあの人に無理に愛してほしいとは思わないもの。あの人は私の望むものをくれはしないけれど、私の事をきちんと尊重してくれているわ。妻として、あなたの母親として。それに、あの人は私にあなたをくれたわ。それだけで私は十分なの」
 切なげに問いかけてくるアマデオへ、身体を離して微笑んでみせる。けれど彼女の息子は、恐ろしいほど真剣な表情できっぱりと告げた。
「嘘は言わないで。本当は十分じゃないんだろ? そうじゃなくて、どうして父さんを見送る時、母さんはあんなにも寂しそうな顔しているんだよ」
「アマデオ……」
「わからないよ、どうして父さんが母さんが傷ついたままにしているのか。電話とか写真とか、父さんならなんとでもできるはずなのに。……僕、父さんの事は尊敬しているけど、母さんを哀しませる父さんは嫌いだ」
 少年らしい潔癖な言葉に胸が熱くなる。
 けれどマデリーンには息子の言葉を、ただ嬉しいと受け止めるわけにはいかなかった。
「お願いよ、アマデオ。どうかそんな事は言わないで。あの人は、私を傷つけようとしているわけじゃないの」
「母さん?」
「写真はね、どうしようもないのよ。パパラッチとかタブロイドは些細な瞬間を大事に仕立て上げるのが得意技なんだもの。それに電話の事は……あの人、知らないから」
 うそ、と、小さな声が漏れる。
「本当に? 父さんは、母さんがあんな電話受けてるって事知らないの?」
「ええ。最低でも、私は話した事はないわ」
「どうして言わないの!? 言えば何かしてくれるかも知れないのに!」
「……そうね」
 心底から理解できないと、アマデオの表情が語っている。けれどマデリーンは、いいのよ、と僅かに首を振った。
「だって、ただのいたずらならあの人にもどうしようもないでしょう? それに、中にはあの人の仕事に詳しい人もいるの。一緒に働いている人だったりしたら大問題じゃない」
「だから何さ! 僕には母さんにあんな電話するような人、父さんにとってもいい人だとは思えないよ」
「あなたの言うとおりかもしれないわね。だけど……」
「だけど?」
 すでに十分過ぎるほど弱音を吐いている事はわかっていた。もう止めておいた方がいいと理性が告げる。だけどここまで話してしまったのなら、全てを吐露してもいいのではないかと弱気の虫が囁く。最終的にこれ以上情けない姿を見せたくないというプライドが勝り、マデリーンはぎこちなく肩を竦めた。
「いいえ、大した事じゃなの。――それよりアマデオ、お願いだからお父さんの事を嫌いだなんて二度と言わないでちょうだい。あの人があなたを愛しているのは本当なの。たとえ言葉の上でもあなたに嫌われてるなんて言われたりしたら、心が張り裂けるくらい傷つくわ」
「……母さんは優しすぎる」
 悔しげに呟いて、アマデオは母親の肩に顔を埋める。宥めるようにその背中を抱きしめ、マデリーンは淡い笑みを浮かべる。
「別に、優しいってわけじゃないわ。ただ……仕方ないの。だって私、あなたの事もあの人の事も、どうしようもなく愛しているんだもの。嫌う事も憎む事もできないくらいに、ね」
 どこかまだ、納得がいかないようにむずかっていた少年は、しばらくしてゆっくりと顔を上げた。
「僕も母さんを愛してるよ。……父さんの事も、嫌いじゃない」
 最後に付け足された言葉には苦いものが混じっていた。けれどそれが彼の母に対する思いやりと気づき、マデリーンはありがとうの言葉と共に、頬に軽い口付けを落とした。