真実の目覚める時 - 06
いつもならリビングで挨拶をした後は一人で部屋に向かうアマデオだが、今日に限っては父親にベッドに入るまで付き合ってほしいと我侭を言い、息子に寂しい思いをさせていた事に対する罪悪感と、息子が自分と過ごす時間を求めてくれていたという事実に対する喜びから、ランドルフはそれを実にすんなりと聞き入れた。
やっぱり男の子は父親じゃないと満足できないのだろうか。
二人が並んで子供部屋に向かうのを見送りながら、ほんの少し嫉妬混じりの寂しさを覚えてしまう。
どうやら情緒不安定は、自分で思っていた以上に深刻なのかもしれない。そんな事を考えながら寝室へと戻ったマデリーンは、ベッドの上のバスローブを手に取ると、部屋の奥のバスルームに向かう。
着ていた服を脱ぎ去り、深めのバスタブへと足を踏み入れて蛇口の栓を捻る。お湯の温度を調節してからシャワーへと切り替え、壁に手を突いて頭から熱い湯を被る。肌の上を跳ね、伝い落ちる湯は一日の疲れと一緒に、愚かしい雑念も洗い流してくれるような気がする。
ブルネットというには少し明るすぎる色の髪は、気がつけばもう腰近くまで伸びている。癖があるから本当は短い方が扱いやすいのだけれど、夫が長い方がいいと言うので伸ばしているのだ。けれどそろそろ切り時かもしれない。それでもショートにするのではなく、肩より長いぐらいに留めようと思ってしまうのは、やはりランドルフの好みが頭の片隅にあるからだろう。
洗った髪を頭の上にまとめてからスポンジへと手を伸ばす。最近新しく買ったシトラスの香りのボディソープをたっぷりと取り、いつもより丹念に全身を洗う。電話での言葉や、帰宅直後の夫の様子からして、今夜彼に抱かれるのはきっと間違いない。いつもはストイックな空気を纏っているランドルフがああいったほのめかしをする時は、往々にして限界近くまで激しく愛される。
――そんな事を考えたのがいけなかったのだろう。不意にランドルフの肌の感触を思い出してしまい、下腹部がかっと熱くなった。お湯とは違う種類の湿りが足の付け根をじわりと潤わせる。
羞恥に頬が染まるのを自覚しながらも、マデリーンはそれもしかたがないのかもしれない、と胸中で呟く。
ランドルフが電話で言っていたのは紛れもない事実だ。年が明けてからというもの、出張準備のために多忙を極めていたランドルフが帰ってくるのは日付が変わってからで、朝早くから夫と息子を送り出す準備をしなければならないマデリーンは、いつも先に眠っていた。もちろん気配で眠りが浅くなる事もあったのだけれど、目を覚ますよりも睡魔が再びその腕を伸ばしてくる方が早くて、おかえりなさい、の一言すら、口にできたためしはない。
だからきっと、抑え続けていた情熱をぶつけられてしまうのだろう。
きゅ、と音を立ててシャワーを止め、バスタブから洗面台の方へと移動する。手に取ったバスタオルで全身を覆っている水滴をふき取りながら湯気で曇った鏡に視線を向ける。乾いた手で顔の映る辺りをざっと撫でると、薄紅色に顔をほてらせている自分を見つけた。
化粧も何もつけていない肌は、湯上りのためかとても艶やかで、本来の年齢よりも若く見える。あまり意識してはいないけれど、もう三十を超えてしまっているのだ。結婚してから――特に子供を生んでからは、日々があっという間に過ぎてしまったような気がする。ランドルフやアマデオが一緒にいて恥ずかしい思いをしないようにと気を遣っていたものの、特別美しくあろうと努力するような暇も余裕もなかった。
――だからあの人は、他の女性を見るようになったのかしら。
瞬間、あたたまっていたはずの身体が一気に熱を失った。
「ああもう、一体何を考えているの! 今はそんな事、考える必要ないじゃない!」
愚かな考えを追い払うために強く頭を振る。濡れた髪から周囲へと水滴が飛び散る。
「他に誰がいようと、あの人はちゃんと帰ってきてくれたわ。だからそれでいいの。そうでしょう?」
鏡の中の自分に向けて問いかける。
その問いに対する答えは、寂しげな、哀しげな微笑みだけだった。
もう一度そっと憂鬱な息を吐き、下着を着けて肌触りのいいバスローブを羽織る。サッシュベルトを手早く結んだマデリーンが、沈んだ気分を引き摺りながらバスルームを出ようとノブに手をかけた正にその瞬間、唐突にドアが開かれた。
「――っ!」
「ああなんだ、もう上がったのか」
「ランドルフ! ああもう、すごく驚いたじゃない……!」
心臓の上に手を当てて大きく呼吸を繰り返すマデリーンの言葉に、ランドルフがひょいと肩を竦める。
「それは悪かったな。そういうつもりじゃなかったんだが」
「タイミングの問題ってわけね。……バスルーム、使うの?」
「いや。君がまだ使っていたなら、一緒にシャワーを浴びようかと思ってたんだ。――こんな事ならジュニアをさっさと寝かしつけるんだった」
まるで進路を塞ぐようにドア枠に凭れている夫を、至近距離にいるせいで半ばのけぞるようにしながらマデリーンは見つめる。仄暗い欲望の炎を宿す濃い茶色の瞳が自分を“鑑賞”している事に気づき、半ば無意識の動作で袷の部分をかき寄せた。きちんと服を着ているランドルフに対し、自分は膝丈のバスローブにショーツだけというこの状況は、なんだかやけに居心地が悪い。
人の悪い笑みを浮かべながらそんな事を口にするランドルフが身に着けているのは、濃灰色をした厚手のシャツとベージュのスラックスだ。コーデュロイのシャツはランドルフの広い肩と厚い胸にぴたりとフィットしている。それでいながら、スラックスに裾をたくし込んでいるというのに余ってしまう布地が、ランドルフの腰から腹部にかけてが十分に引き締まっているのだと見せ付ける。それはまるで、ランドルフがどれだけ魅力的な身体をしているのかと想像を掻き立てさせるためにデザインされたのではないか、などと思ってしまうほど似合っていた。
タオル地のバスローブに身を包んだ妻をじっくりと見下ろしたランドルフは、からかいの言葉にうっすらと頬を染める様子にそっと微笑んで、柔らかな曲線を描くウエストへと手を回した。優しく引き寄せてしっとりとした額に唇を落とす。
「――それで、どうする?」
「どうするって……何が?」
髪の生え際へ落とされる口付けがくすぐったくて、ランドルフの腕の中でマデリーンが身を捩らせた。けれど抵抗に対する許容は実に僅かで、精一杯首を捻って顔を逸らすものの、そうすれば今度は耳からうなじまでがランドルフの目の前に曝されてしまう。
「俺のために今からもう一度バスルームに戻る気はないか?」
耳元で低く囁かれ、マデリーンの背筋をぞくぞくと電流に似た感触が走りぬける。自ら墓穴を掘ったのだと気づくものの、これ以上の抵抗は無意味だと気づく。
仕方なく諦めの息を吐いて、彼女は身を硬くしたままきっぱりと言葉を返した。
「冗談はやめて」
「冗談じゃないんだが……まあいい。どうせ後で浴びるんだ。その時でいいか」
「ランドルフ、あなた本当に――」
どうしたの、と続けた言葉は、唐突に降りてきたランドルフの唇の中へと吸い取られた。
はじめから手加減なしの口付けに対する戸惑いはたちまち消え失せた。身を守るようにランドルフの胸に当てていた手を脇から背中へと滑らせ、うっとりと目を閉じて微かに唇を開く。性急に滑り込んできた舌は荒々しく、マデリーンをどうしようもないほど圧倒させた。
呼吸と唾液と欲望が、二人の間で混ざり合い、溶け合っていく。ランドルフの大きな手がヒップへと徐々に下りていく。柔らかな曲線を抱え込むようにしてランドルフが二人の身体をこれ以上になく近づけると、布地越しに夫の昂ぶりを感じた。
ランドルフは、やっぱり私を求めてくれている。
そうでなくて、どうしてこんな飢えたようなキスをするの?
たったこれだけの触れ合いで、どうしてこんなに反応しているの?
頭の奥から囁きかけてくる声はマデリーンの自尊心を大きく満たし、同時に彼女の情熱を盛大に掻き立てた。手触りのいいコーデュロイの生地を強く握り締め、甘えるようにランドルフへと全身を摺り寄せる。
マデリーンを自分に抱きつかせたまま数歩移動し、寝室側の壁に凭れさせる。妻の腰を自分の方へと更に引き寄せ、壁との隙間に手を差し込んだランドルフは背中にかけてのラインをゆっくりと撫で上げた。そのまま首筋からバスローブの袷へと手を滑り込ませて肩から二の腕まで動かせば、元から前身ごろを重ねているだけのバスローブは実にあっさりと肌蹴け、豊満な胸が露わになった。
片手には余る大きさの乳房を持ち上げて掌で硬く尖った胸の先端を押しつぶすように愛撫すれば、マデリーンはふるりと身体を震わせて甘く息を吐く。
身体を屈めて柔らかなふくらみにキスを落とし、花びらのような吸い痕をいくつも残す。元から白い肌に散らされたその所有の証は、ランドルフに大きな優越感を与える。たっぷりとしたふくらみを両手で持ち上げ、つんと立ち上がっている濃いベージュの果実を交互に口に含み、舌先でその感触と肌を味わう。
「あ……ああ、ランド……お願いよ、もっと……もっと強く……」
「強く? こんな風に?」
低く囁きながら、敏感な尖りに軽く歯を立てそっと引張る。ひゅっ、と息を呑む気配の後に切ない吐息が続き、マデリーンはもっとと言葉にする代わりにランドルフの頭を胸へと引き寄せた。
妻の率直な求めに応えない理由など、もちろんランドルフにあるはずがない。
満足げな笑みを浮かべた彼は、自身の望むままに手の中にあるマデリーンの乳房へと愛撫を施しはじめた。