かぶ

Goodbye To You, My Love : Eleonole - 07

「――そうね、あなたのご両親が他の人たちに伝えていたのでなければ、最初に知ったのは私でしょうね」
「両親は絶対に漏らしていません。二人とも、私を本当の娘として育てていました。周囲の疑いの眼も、父方にゲルマン系の血筋が混じっていると実に苦しいごまかしで逸らしていましたし。私自身、両親にあまり似ていない事を気にして問いただした事はありましたが、やはり同じ言葉で納得させられました」
「いいご両親なのね」
 皮肉などではなく、素直に心からそう思った。それが伝わったのだろう。誇らしげに微笑んで、ジョージーナははっきりと頷く。
「ええ、自慢の両親です。だからこそ余計に衝撃でした。――でも、考えてみれば確かにヒントはあったんです。私が議員の下で働く事が決まった時、いつもは私の決めた事にはよほどの事でもない限り異を唱えなかった母が、はっきりと反対したんです。いい考えじゃないって。父もどこか複雑な表情をしていたんですが、最終的には母を説得してくれました。当時は一人娘を持った親のよくある感傷だろうと思っていたんですが、今になってようやく理解できました。母からすれば、当然ですよね」
 せっかくの微笑がまた苦しげなものへと戻ってしまう。それを惜しく思うより先に、夫が口を開いていた。
「考えてみれば、君が無数の求人広告の中から私のパーソナルアシスタントの募集に応募した事自体が奇跡に近い偶然だし、君のレジュメが幾重もの選考を潜り抜けて私の元に届いた事も恐ろしいほどの幸運だ。あの求人に対する応募は数百を超えていたというからね」
 すでに懐かしく思える当時を思い出して穏やかに告げるゲオルグの言葉に同様の思いを抱いたのだろう。これまで沈黙を保っていたクライブが、微かに苦笑を滲ませつつ返した。
「……そういえばそうでしたね。僕たちのところへ届いた時点ですら七十通以上ありましたから、名前は二の次で内容だけを見てかなり機械的に選別していましたよね」
「いや、選別をしていたのは君たちだろう? 私が受け取った時にはすでに五十通まで減っていて、そこから身元調査をして残ったのが……」
「二十八人です。その候補者の調査報告書を僕があなたにお渡しして……」
「受け取った私が、エレンにも内容を確認してくれと言ったんだった。……そうやって同じものを見ていたのに、君だけが真実に気づき、対処しようとしてくれたというわけか」
 やれやれと息を吐き、ゲオルグがエレオノールへと視線を向ける。受け止めるその視線に咎める色はなく、むしろ賞賛の色が浮かんでいる事に純粋に驚いた。
 どうしてそんな風に見つめられるのかが理解できずきょとんと見つめ返すエレオノールに、ゲオルグが低く笑う。その様子に動揺がいや増して、彼女は視線を逸らすと言い訳がましい言葉を口にする。
「私は別に……何も大した事をしたわけじゃないわ。実際に会うまでは、脅迫者である可能性すら考慮していたもの。クリーンなイメージで売ってきた上院議員の隠し子なんて、スキャンダルもいいところでしょう。そうでなくても認知を求めにきたのかもしれないとか、何かコネを求めてきたのかもしれないだとか、そんな可能性ばかりを想定した上で呼び出したのよ」
「それは、当然だと思います。私だって議員の――ゲオの事に気づいた瞬間、反射的に思ったのが『ボストンには戻れない。戻ってはいけない』でしたから」
 議員、と口にした瞬間傷ついた顔になったゲオルグに気づき、どこか言いにくげにジョージーナが呼びなおす。そんな二人に微笑ましく思わされつつも、続けられた言葉に自然と意識が向く。
 言葉に迷うように視線を揺らすジョージーナを、クライブが優しく見つめる。この話し合いが始まってから一度として放される事なく繋がれていた手を、クライブがもう一方の手で包む。全力で守ろうとしてくれている恋人へと信頼と愛情を伝えるように微かな笑みを浮かべると、彼女は改めてゲオルグとエレオノールへと視線を向けた。
「母の死だけでも衝撃だというのに思いがけない事実を知らされたおかげで感情はもうぼろぼろで頭の中も混乱しきっていたというのに、このままゲオの元で働いていてはクライブにもゲオにも悪影響にしかならないと、妙に冷静に考えていました。普通の家庭でも大問題になるのに、ゲオもクライブも政界に身を投じているんですもの。こちらで働き始めてから、それなり以上に政界の現実を見てきました。私は――あなた方の汚名の原因にだけは、なりたくなかったんです」
「…………」
「お二人やクライブを守りたいという思いもありました。ですがそれよりも、邪魔な存在になりたくないという後ろ向きで利己的な考えの方が先立っていました。そのせいもあって、クライブがどう思うかを考える事もなく別れを――それも一方的に電話で伝えて切るような真似もしてしまいました。本当に、言い訳にもなりませんが、その時はそれが一番いい方法だと思えたんです。私さえいなくなれば誰も泥を被らずにすむと。……本当に、自分勝手な考えですよね」
 自嘲するジョージーナを見つめるクライブの瞳はどこまでも穏やかだ。きっと彼女の故郷にいる間に、二人はこの問題についてお互いが納得いくまで話し合ってきたのだろう。それとも、こんな言葉を聴いても不安にならずにいられる程の信頼が、この僅か数年の間に彼らの間に培われていたのだろうか。もしもそうなら実に羨ましいと、エレオノールは素直に思う。それと同時に、再会してから一度も崩されない言葉遣いに気づいて心が痛みを訴えかける。
「――そんな風に言うという事は、考えを改めてくれたのかな」
 夫の冷静な声が問いかける。その声につられるようにしてジョージーナへと意識を戻せば、彼女はまた戸惑ったような顔になっていた。
「ジーナ?」
 答えを促すように――否、求めるために呼びかける。けれど返されたのは沈黙だった。
 この場合、沈黙はあまりいい意味には取りにくい。どうやら夫もエレオノールと同じ事を考えたようで、その太い眉を哀しげに下げる。
「復職の可能性は、低いという事かな」
「……私は、またこちらで働かせていただいても、よろしいのでしょうか」
「いけないのなら、こんな事を訊きはしないよ」
 純粋な驚きと共に訊き返してくるジョージーナへと、ゲオルグは真摯に告げる。
「こんな事を言うのはクライブを手元に置いておきたいからだけじゃない。もちろん、君が私の……その、娘だと、わかったからでもない。私も妻も、君の事が純粋に好きなんだ。友人として、ね。せっかく得た友人を失いたくないと思うのは、人として当然の感情だと思わないかい?」
「ねえ、ジーナ。クライブの事だとか、素性だとかは置いて、自分自身の心を見つめてもらう事はできない? あなたの心は、遠慮だとか憂慮だとかを取り除いた上でも辞職したいと言っているのかしら」
「どうしても辞めたいと言うのなら、無理に引き止めはしないよ。クライブは、今は君を手放すまいとして酷い視界狭窄に陥っているが、遠距離恋愛ができないタイプの男でもない。こいつはボストンに残したまま、別の地で新たな職を見つけるのもいいだろう。もちろん、残ると決めたからといって、私を父親だと呼んでくれなどとは言わないよ。無理だろう事はよくわかっているし、私自身、君を娘だと言い切るにはまだ葛藤が残っているからね」
「ゲオ、エレン。お願いですから二人とも落ち着いてください。そんな風に畳み掛けては、ジョージーナが混乱するばかりです」
 夫婦がかりでの説得の壁を破ったのは、これまで沈黙を保ち続けていたクライブだった。
「クライブ、邪魔をするつもりか?」
「ええ、そのつもりです。――そんな目で睨んでも怖くありませんよ。慣れてます」
 鷲のよう、と評される事の多いゲオルグの鋭い視線を真っ向から受け止めるクライブは腕の中に恋人を抱き寄せ、その背を宥めるように撫でていた。
「お二人がジーナの事を得がたい友人だと思って下さっている事はよくわかりました。彼女の意思を尊重するつもりが、一応とはいえある事も。ですが、今すぐに決断を迫るのはさすがに卑怯でしょう? 僕たちは、ゲオの私生児としてのジョージーナをあなた方がどう受け取るかもわからないままにこの場に来たんです。一応二人で話し合ってある程度の方針は定めてましたが、何一つ決定には至っていません。彼女がこちらでの仕事を続けるのかだけでなく、僕がゲオの秘書を続けるのかどうかも。唯一決めた事は、お互いの事を諦めないというそれだけで」
 告げるクライブに不安は欠片も見えない。その原因に思い当たり、エレオノールは視線をそちらへと向ける。
「そう。それでその指輪なのね。もうおめでとうと言ってもいいのかしら?」
「さすがに目敏いですね、エレン。ジョージーナの答えは見てのとおりですし、一番の懸念事項である花嫁の父からの承諾もきっちりもぎ取ってきました。付け加えるならば、ダニエルは法律家なので、下手に婚約破棄などをすれば僕は一巻の終わりです」
 どこまでも誇らしげに告げる青年へと胡乱な視線を投げかけ、ゲオルグは呆れ果てたとばかりに両手を投げ上げる。
「……そんな顔をして何が一巻の終わりだ。むしろそれは、ジョージーナに対する楔じゃないか」
「なんとでも」
 ゲオルグに対してふふんと不敵な笑みを見せたクライブは、腕の中の婚約者へと蕩けるように微笑みかける。
「ジーナ」
「ええ、わかっているわ」
 会話というには短すぎる言葉のやり取りを経て、ジョージーナはソファの中で姿勢を改める。
 そうしてこちらを見つめてきたその目にはまだ不安や迷いが見え隠れするものの、はっきりとした意思が表れていた。