Truly Madly Deeply - 04
「え……と、さ。その、峰倉のお勧めとか教えてもらえないか? 実はこういうところって初めてだから、何がいいのかよくわからないんだ」
「お勧め? んー、そうだな。あたしはあっさりが好きだから、いつも一品料理とご飯にお味噌汁ってメニューなの。定食メニューならこっちの和風焼肉定食が好き。塩コショウとにんにくで下味を付けて焼いた牛肉を、大根おろしとすだちポン酢で頂くの。定食には全部ご飯とお味噌汁、お漬物プラス一品。一品は日替わりで、今日はタコとわかめとじゃこの酢の物だったかな? あとは……そうだ。定食を注文したら、学生さんに限り、ご飯とお味噌汁がお代わりし放題でちょっぴりお得――なんだけど、神沢君はこういうの、気にしない方?」
「いや、結構サービス定食とかお代わりし放題とか食べ放題とか好きな方」
「え、嘘。すごく意外」
本気で驚く依子に、なんでだよ、と隆は僅かに眉をしかめる。どうやら隆が少しばかり機嫌を損ねたらしいと知り、依子は少し困ったように首を傾げた。
「だって神沢君って、なんとなくそういう事には無頓着そうだって思ってたんだ。メニュー見て、お得そうなものがあれば選ぶかもしれないけれど、前もってそういうサービスがあるかどうかを調べてから店を決めるような人じゃなさそうだなって」
「ああ、そういう事。それなら確かにそのとおりだ。凄いな峰倉。俺の事よく把握してる」
純粋に簡単する隆に、ちょっぴり照れくさそうに依子が笑った。
「あたし、自慢するけど実はけっこう観察力ある方なんだよね」
「自慢するのかよ」
「する。だって自慢だもん」
隆の突っ込みに真顔で依子が返す。その言葉に、二人して吹き出した。
一頻り笑った後で、そうだ、と依子が切り出した。
「えーと、それでご注文は?」
「峰倉、切り替え早すぎだって。……っと、それじゃあ、峰倉お勧めの和風焼肉定食一つ。飯は特盛りとかあり?」
「ありだよ。では、和風焼肉定食一つ、ライス特盛り承りました。――おじさん、和焼肉定食、ライスは特盛りね!」
「おうよ!」
厨房から威勢のいい声が返される。やはり年代もののカウンター越しに厨房へと視線を向ければ、白いタンクトップのシャツ着て、短く刈った頭にタオルを巻きつけた四十がらみの男が忙しくフライパンを振るっているのが見えた。
「依ちゃん、お友達にお漬物と酢の物先に出して。それから宮ちゃんのテーブルにビールお代わり」
「はい!」
おかみさんの言葉に元気よく返事をし、依子は「後でね」と隆に手を振って仕事に戻た。
けっして強くは見えない細い腕で食器やビール瓶を大量に載せた盆を支え、ジーンズ履きのすらりと細い足が軽いフットワークで厨房とテーブルの間を行き来する。
「お待たせしました。酢の物とお漬物です。――この白菜、おばさんが自分で漬けてるからすごく美味しいんだ。ぜひ味わって食べて」
「ん、サンキュ」
隆の言葉ににこりと笑みを残して次のテーブルへと向かう。
常連らしい客の男に何事かを言われて笑いながら言葉を返し、伝票に書き付けては厨房にいる親爺に声をかける。様々な料理が盛られた皿で一杯のトレイを危なげなく運ぶ依子は、学校での彼女と違ってとても生き生きとして見える。
きっとこれが本当の彼女の姿なのだろう。
学校にいる他の誰もが知らない依子の姿を見ていると実感し、奇妙な優越感が隆の胸に湧き上がってきた。
一通り定食メニューが全て出揃うまではと箸を取らずに待っていた隆は、和風焼肉と特盛りご飯、味噌汁が依子によって目の前に並べるのをじっと見つめていた。
「お待ちどうさま」
「ありがとう。それじゃ、いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
ぱちんと割り箸を割り、早速メインの和風焼肉に箸を伸ばす。肉を一切れ取り、大根おろしとすだち入ったポン酢につけて口に運ぶ。
「――――うわ、マジ美味い」
「神沢君の口にあって良かった。じゃ、また後で来るね。ゆっくり食べて」
「ん」
仕事に戻る依子を見送り、隆は改めて目の前の料理に取り掛かる。
これまで隆が食べてきたのは、家政婦の作る何かと凝った料理だったり、この店のメニューであれば最低でもゼロを一つ足す必要があるような店の物ばかりだった。材料レベルで考えるなら、この食堂で使っている品は、そういった店や家で使っているものに比べると遥かに質は低いだろう。けれど大して長く待つ事なく依子が運んできた定食は、ご飯といい味噌汁といい和風焼肉といい、どれもが素朴ながらも想像以上に美味しくて、隆は素直に舌鼓を打った。
どうやら依子の同級生という事で特別大盛りにしてくれたらしい焼肉を特盛りのご飯を一度お代わりして平らげた。親の躾もあってがっつくような真似はしないから、すべての皿がきれいになる頃にはすでに九時近くなっていた。
気が付けば客層も、夕食を目的とする者から酒を目的とする者へと変わっている。
日本酒の一升瓶を目の前に置き、ガラスのコップに自ら手酌しては世間話をしつつ飲む男達を見ていると、なんとなく居場所を間違えているような気がしてくる。同時に依子がこんな環境で働いているという事実を懸念した。
「あ、食べ終わった? お茶かお水いる?」
「いや、そろそろ出るよ。会計してもらえる?」
「かしこまりました。ええと、和風焼肉定食だから五五〇円です」
「――あのボリュームプラス特盛りお代わりしたのにその値段って、マジありえなくない?」
鞄から財布を取り出し、千円札を依子に渡す。
「うん、それはあたしも思う。実はここのお店、十年ぐらい前から値段変わってないらしいの。当時はどっちかって言うと高かったのに、今じゃ安いって言われるんだからって、おばさんが前に笑ってたよ」
苦笑しながらやはり古めかしいレジに向かい、おつりを手に依子が戻ってくる。
「それじゃあ四五〇円のお返しです、と」
「サンキュ」
手の平に落とされた小銭を握ろうとした指先が、依子の指を捉える。その柔らかな感触に、隆の心臓が鼓動を乱した。
「――っ、ごめん!」
「……別に、これぐらい構わないのに」
隆の反応に目を丸くして、依子がポツリと言葉を漏らす。周囲の喧騒さえ気にならなくなるほど、気まずいような気恥ずかしいような、奇妙な空気が二人の間を流れる。
けれどその空気は、不意にかけられたおかみさんの声によってかき消された。
「依子ちゃん、そろそろ時間だし上がっていいわよ。お弁当のおかずはまた後で店が終わる頃に取りにおいで」
「わかりました。それじゃああたし、このまま上がります。お疲れ様です!」
「お疲れさん」
「おう! また明日頼むな!」
「はい、ではお先に失礼します」
ぺこりと頭を下げて、依子が隆を振り返る。
「……と、そういうわけだから、一緒に出ようか」
「ん、そだな」
頷いて、隆は自分の鞄を取り上げる。先に立って店を出た依子は、隆が出てくるのを待って引き戸を閉めた。
人気の希薄な商店街はしんと静まり返っていて、まるで見捨てられた町に一人取り残されたような寂寥感を覚える。
胸に迫る感傷に耐えかねて、隆はおもむろに口を開いた。
「そういえば峰倉って、どこに住んでるんだ?」
「え?」
唐突な言葉にきょとんと見上げてくる依子に、隆は言葉を重ねる。
「いや、ほら、時間も遅いからさ。迷惑じゃなければ送ってくよ」
「ああ、なんだそういう事。んーと、そのね、すぐそこって言うか……」
「言うか?」
首を傾げる隆と同じ角度に首を曲げて、依子は僅かに苦笑を漏らす。
「ここの二階、なんだよね」
「……へ?」
思わず目をぱちくりと瞬かせた。
よほど間の抜けた顔をしていたのだろう。依子は楽しげに笑いながら説明した。
「ここの二階、アパートになってるの。で、大家さんが『みやまえ』のご夫婦だから、あたしはある意味住み込みバイトみたいな形になってるんだ」
「そう、なんだ……」
明かされた事実のあっけなさになんとなく気落ちする。それが顔に出たのか、少しばかり考えるそぶりを見せた後、依子が遠慮がちに言った。
「……せっかくだし、時間あるなら少し寄ってく?」