かぶ

真実の目覚める時 - 21

「……何か言いたい事があるなら、率直に言ったらどうだ?」
 会社に戻る車の中で、戸惑いと苛立ちのない交ぜになった表情で深く考え込んでいるケネスに気づき、ランドルフは疲れた声で促した。
「別に、大した事じゃありません」
「本当に大した事じゃないなら、お前は絶対顔には出さない。だが、それだけありありと顔に出ているんだ。それだけで十分、お前が厄介事を一人で抱え込んでるって証拠になる」
 にやりと笑ってやれば、ケネスもまいったな、と苦笑を浮かべる。
「やれやれ、付き合いが長いとこういう時は本当に不便ですね」
「それはどうかな。もしかすると、時と場合によっては逆に便利なのかもしれないぞ。――それで、お前を悩ませているのは一体何なんだ?」
「答えなきゃ、なりませんか?」
「嫌なら別に構わない。考えがまとまってない可能性もあるしな」
 あっさりと首を振り、ランドルフは長年目をかけてきた青年をまっすぐに見つめる。
「だが、もし話して楽になれる事なら話した方がいい。愚痴でも、泣き言でも、恨み節でも、何だって聞いてやる。アドバイスがほしいなら、俺のやり方で与えてやるし、俺の力が必要なら、いくらでも貸してやる。俺が嫌だというのなら、口が堅くて優秀なカウンセラーを知っているから紹介してやる。どうしてもと言うのであれば、マデリーンと話をする時間を作ってもいい」
 思いもよらない言葉に、ケネスは一瞬、本気で自分の耳を疑った。
「――本気、ですか?」
「本気さ。なにせお前は俺にとって、失う事のできない優秀な秘書であり、優秀な弟子であり、未来のライバルであり、ついでに弟代わりなんだ。一人であれこれ抱え込む姿を傍観していたいとは思わない。――思えない」
「ランド……」
 告げられた言葉は限りなく真摯で、それがランドルフにとっての心からの真実なのだと、ケネスは素直に信じる事ができた。
 不覚にも胸が震え、目の奥がじわりと熱くなるのを覚え、ケネスは強く目を閉ざす。
 今更に思い出した。なぜ自分が、この人に憧れたのか。こんなにもこの男に、強く惹かれたのか。
 ゆっくりと呼吸を繰り返し、感情が収まるのを待ってから口を開いた。
「ありがとう、ございます。今はまだ、すぐに話せそうにありません。ですが時が来れば、必ず」
 それが精一杯だった。目を瞑ったまま俯いて、膝の上で硬く拳を握る。そうでもしなければ、感情が爆発してあふれ出しそうだった。
 しかしそんなやせ我慢は、大して長くは持たなかった。
 その拳が温かく大きな手で包まれるのを感じた瞬間、堪え切れなかった涙が一粒、硬く閉ざしていたまぶたの端から零れ落ちた。

* * *

 独りになった部屋で、机の上に置いた携帯電話を前にして、彼はじっと考え込んでいた。
 頭の中では今もまだ、彼の信念を根底から揺るがせたあの言葉が、うるさいくらい鳴り響いている。
 はじめはそんな言葉に耳を傾けるのも馬鹿馬鹿しいと、そう思った。聞かされた言葉はあまりにも唐突で、そんな事が事実であるなど、考えられなかったからだ。
 けれどその言葉を告げた彼の表情を見ているうちに、そして過去における彼女の姿や態度を思い返すにつれて、もしかして、という疑念が浮かびはじめた。
 いいだろう。仮に、彼のあの言葉が紛れもない真実だったとしよう。
 だとすれば、これまで自分がやってきた事はまったくもって意味のない、それどころか場合によっては赦されざる事なのではないだろうか。
 彼女のために、しているつもりだった。自分がそうする事で、彼女が深く傷つくだろうという事も――いや、先日のあの反応からすると、すでに十分すぎるほど傷ついているのはわかっていた。必死で痛みを押し隠し、まるで何事もなかったかのように振舞った彼女の姿に、彼はとてつもない罪悪感が圧し掛かってくるのを感じたのだ。
 だけどそれでも、最後に自分が彼女を強く抱きしめ、傷ついた彼女の心を優しく癒してやればいいのだと、傲慢にも思っていた。
 ゆっくりと呼吸を繰り返しながら、強く目を閉じてゆっくりと事の始まりへと思考を巡らせる。
 あの時の彼女は実に堂々としていて、自分の魅力をはっきり理解した笑みを浮かべていた。その態度からも、彼女の語る言葉がすべて真実であるように思えた。
 しかしそれは、本当に正しかったのだろうか? あの時の自分は、その言葉を信じたいがために、人を観る目を無意識に曇らせていたのではないか? 彼女の言葉は、行動は、笑顔は……あのすべてが偽りだったのだろうか。
 だけど彼は、正しい判断をしたはずだ。これまで彼が見てきたすべてが、聞いてきたすべてが、彼女の言葉がどこまでも正当なものだと示唆していた。だからこそ、彼は彼女の手を取ったのだ。そして、それぞれの望みを叶えるべく、協力し合ってきたはずだ。
 だが、もしも一番最初の前提が間違っていたとすれば。
 真実だと思っていたものが、完全なる偽りだったのだとすれば。
 ――彼にはもはや、彼女を慰める資格どころか、赦しを乞う資格すら、持ち得ない。
「俺は……どう、すれば……」
 苦しげに息を吐き、革張りの椅子へと深く身を沈める。背もたれに沿わせて仰向いた顔を、あたかも天に恥じているかのように、両手で覆い隠した。
「……考え、ないと。何が真実で、何がそうでないのか……今度こそ、きちんと見極めなければ……」
 力なく、両手を身体の脇へと落とす。何もない空間へと虚ろな瞳を向けていた彼は、最後にもう一度肺の底から苦い息を吐き出し、ゆっくりと身体を起こした。広いデスクに肘を突き、組み合わせた両手に強く額を押し付けて、考えるための体勢を取る。
 十数分後、この後の予定に変更が生じたと知らせるための内線が電子音を立てるまで、彼はぴくりともせず、思考の迷宮へと深く意識を沈めていた。