僕が触れたり少し強く抱きしめたところでワカが壊れる事はないのは知っているけれど、それでもやっぱり男の力だから、慎重に、丁寧に触れる。
ワカはいつだって柔らかで、なめらかで、あたたかだ。
ひ弱で貧弱な僕よりも、毎日患者さんのサポートをしているワカの方が、うっかりすると強いし逞しい。
僕だって曲がりなりにも男だから、ワカを抱き上げる事もできなくはない。だけど自分自身より身体の大きな人を支える事も少なくないワカは、今みたいになってる僕なら、たぶん横抱きに抱える事すらできてしまうだろう。
そんな自分に自己嫌悪しないでもない。だけどそんな事はどうでもいい。
ただこうしてワカが僕を見てくれて、僕にすべてを預けてくれるこの瞬間さえあれば、それで僕は満たされる。
毎晩のように肌を合わせてはいたけれど、体重が落ち始めた頃から僕は、体力的なものもあったけれど、それ以上に肉体的な理由できちんとワカを抱けなくなっていた。ココロはワカを求めて昂ぶっているのに、それに身体がついてきてくれなかった。
こんな風になるのはもう何度目かって感じだったからワカも「仕方ないね」と笑ってくれたけれど、それで僕に収まりがつくはずもない。身体を繋げないまでも手と指と口で、ありったけの想いと熱情をワカに伝えた。
ワカが好き、ワカが欲しい、ワカを愛したい。
それすらできないくらいココロが疲れている時は、抱きしめて、抱きしめられて、お互いの体温を分け合いながら眠る。それだけで僕の荒廃させられた精神は癒されたし、落ち着きを取り戻せた。――たとえ、それがたった数時間の効果しか持たないとしても、一方的に堕ちていく事を思えば、こんな風に浮上できたのはいい事だと思う。
ワカ曰くの『肉的なもの』が戻ってきたのと僕の身体が復調したのは同時期で、最後までできない事もあるけれど、それでもきちんとワカを確かめられるようにはなってきた。
セックスだけがすべてだとは思わない。だけどこうしてワカの一番深いところにもぐりこんで包まれる幸福感は、他の何にも変えられないし変えたくもない。
ワカの中に身を沈めて、じっとしたままワカを抱きしめて。止めていられなくてあふれ出した想いを口にする。
「ワカ……好きだよ」
「もう、それ、さっきから何回目?」
クスクスと笑いながらもワカは優しい目で僕を見つめる。からかわれたのがちょっと悔しくて、僕はほんの少し唇を尖らせた。
「知らない。でも、言いたいから言ってる。……ワカは言われるの、嫌?」
「克己、答えわかって言ってるでしょ? 嫌なわけ、ないじゃない」
「じゃあ、もっと言う。ワカが好き。大好き。愛してる」
「あたしも克己が好き。大好きで愛してて、大切」
とろりと蜜がとろけるように幸せいっぱいの顔で笑って、ワカが僕にそっとキスをくれる。
それが嬉しくて、嬉しすぎて、心以上に身体が反応した。
「っ、克己、また……」
「だって、ワカが可愛すぎるから。本当に、ワカってば凶悪」
「……凶悪なのはどっちよ」
目元を赤らめながらぽつりともらされた言葉に首を傾げつつ、ほんの少し身体を揺する。喉の奥で小さく悲鳴を上げ、ワカがぎゅっとしがみついてきた。
ゆっくりと、腰を蠢かせる。そのとたんお互いの身体を甘い感覚が走り、同時に息を呑む。頭の奥がじんと痺れて、このためだけにすべてを賭してもいい、なんて馬鹿な事すら考えた。
「ワカ……イイ? ちゃんと、気持ちいい?」
「っ、そんな事、訊かないでよ馬鹿!」
「でも、ちゃんと知りたい。久しぶりだから余計に」
「――いい、わよ。決まってるでしょ? 克己なんだもん。当たり前じゃない」
ぷつん、と、頭の奥で音がした。
ああもう本当に、どうしてワカはこんなにも僕の理性をぶち切るのが上手いかなぁ!
「わ、かな……ごめん」
千切れた理性を捕まえる努力は完全に放棄して、そのまま本能に押し流される。
ちょ、克己!? と、戸惑い交じりの声が上がる。だけど僕を引き止めるには、それくらいじゃ全然足りない。
しなやかな足を抱え上げ、大きく身体を揺すり上げる。肌がぶつかる音と隠微な水音に、ワカの可愛い啼き声が入り混じる。それは僕の獣性を大いにかきたてて、より深く、より強くワカを求めさせる。
「あっ、あんっ、あ、あ、あ……か、つみ、克己ぃ!」
顔も身体も目に見える全てを淡い朱に染めて、ワカが僕にしがみついてくる。すぐ目の前のうなじに強く吸い付いて痕を刻み、確かめるように舐め上げる。
「やぁっ、首、だめぇ……」
「ワカ、可愛い……もっと啼いて、もっと僕を求めて?」
耳元に囁いて耳朶を齧ると耳の弱いワカは息を詰める。けれどそのせいで僕を包み込む部分もきゅっと締まり、僕は一気に余裕を失ってしまった。
本当に、自業自得というか自縄自縛というか。ちょっとした動きが、愛撫が、相手だけじゃなく自分までも追い詰め、高める。スパイラルを描くような相乗効果に呑み込まれ、僕はいつものようにワカを呼びながらワカをひたすらに貪る。
思考も、感覚も、感情も、全てがワカだけになって、ワカ一色に染まる。
「んゃっ、ダメぇ、か……つみ、かつみ、もう、あたし――」
「うん、ワカ。僕ももうすぐ、だから……」
ワカの声にわずかな理性が戻ってくる。かろうじて言葉を返したとたん、また僕はワカに溺れる。
お互いの名前を呼びながら高みへと上り詰めれば、あとに残るのは気だるさ交じりの幸福感。ただでさえ消耗され気味な体力は枯渇しているけれど、最後の理性と気力で身体を引き離し、最低限の後始末を終えてワカの隣に倒れこむ。
「ごめん……もう、無理っぽい……」
「ん。わかってる。久しぶりだったし、がんばっちゃったもんね」
半分以上夢うつつな僕の声に小さく笑って、ワカが二人の身体に掛け布団をかけてくれる。そうした上で、もぞもぞと動いて僕を抱きしめた。
こんな風に、ワカはいつでも僕を捕まえていてくれる。守ってくれる。こうして二人でいられる時が一番幸せで、ワカの腕の中はまさに僕にとっての聖域なのだ。
「ワカ、若菜……好き、だ……よ」
「うん。克己。あたしも好きよ。絶対放さないから安心してね?」
そうしてまた、僕を安らがせる言葉を口にしたワカは、そっとお休みのキスをくれる。
眠りにつく間際の記憶は、嬉しすぎてだらしなく口元が緩むその感覚だった。
改めて考える必要もなく、本社からの出向が決まった時点ですでに一度壮行会が行われていたのだし、会社は辞めても働くのは出先機関ということに違いはないので、北さんのための送別会は規模的にはそこまで大きなものではなかった。
会社の比較的近くにある中規模な居酒屋の座敷席を借り切っての席には、けれど僕が思っていたよりも多くの人たちが、それも結構な広範囲から参加していて、ごちゃっとした背広姿の集団に巻き込まれた瞬間、回れ右をして帰りたくなってしまった。
だけどそんな理由で不義理をするなんてのは僕の本意じゃないし、それ以上に僕よりもよっぽど義理堅いワカが許してくれるはずがない。
諦めてなるべく隅っこの方で小さくなっていようと思ったのに、そんな僕の目論見は店に着くなり僕を見つけた北さんに、他の役職付の方々を差し置いた主役の隣の席へと拉致された事で木っ端微塵にされてしまった。
「ほら、そんな恨めしい顔してんじゃねぇよ。お前の事だからどうせ末席にいればとか思ってたんだろうけどな、俺はお前と話がしたかったんだ。主役のご意向に逆らうような真似は諦めるんだな」
「……はぁ」
ため息混じりに頷いて、最初の乾杯が終わった後は入れ替わり立ち代り北さんに挨拶に来る人たちの視線はまるっと無視して食事に集中する。ぼくがこうだって事は北さんよく知っているから、たまに苦笑してくる以外は放置だった。
会が始まって一時間もすると、遅刻組を除けば大体挨拶や積もる話も落ち着いたようで、みんなそれぞれ自分の席に落ち着いて、こういう場でもなければ中々交流できない別部署の人たちと顔繋ぎをしたり、知り合いと旧交を温めたりなどしているようだった。
僕の席も似たようなもので、いつの間に移ってきたのか僕の正面にやってきていた山上と北さんが、なぜか僕の――厳密には僕の恋人であるワカの話で盛り上がっていた。
「うわー、いいなぁ、北さん! オレ、何度も宗谷に『会わせてくれ』って頼んでるのに、コイツ絶対嫌だとか言うんですよー」
「そりゃあお前じゃ無理だろ。自分のこれまでの素行考えて見ろよ。それこそお前の本命を同席させるとかでなきゃ無理だろうな」
「そうか、その手があったか! さすが北さん、いい手です! よし、宗谷! 今度オレの彼女に会わせてやるからお前のカノジョにも会わせてくれ!」
「嫌だ」
中腰になってテーブルの半分以上こっちに身を乗り出してきた山上に、僕はきっぱりと一言で切り捨てる。
「ちょっ、お前即答すぎるし! てか何でだよ! オレがオレのカノジョ見せてやるって言ってるんだし、そっちもちょっとは譲歩しろよ!」
「僕は山上と違って他人の恋人に興味なんてない。それに、もったいない」
「「もったいない?」」
二人の声が綺麗に揃う。
「せっかく彼女と二人で過ごせる時間なんですよ? どうして山上ごときに邪魔されなきゃならないんですか」
「……お前ね、同期の同僚捕まえてごときとかマジどうなのよ?」
「僕の中で彼女と君を比べるとその程度にしかならないって事だよ。山上ならどうなのさ。デートの時間を邪魔するやつを尊重しようとか思えるの?」
「あー……それは、確かに」
「ってお前、そこ納得するのかよ!」
ぶはっ、と吹き出して北さんが笑う。対する山上の答えは「そりゃオレ、カノジョ溺愛してますから」というものだった。
けれどそれに対しても、北さんには思うところがあったらしい。
「いや、山上。やっぱりお前、一度恋人と一緒にいる宗谷を見ておいた方がいいかもしれんぞ?」