君だけの僕 ― 凍える闇夜に光を求む 04 ―
ただでさえ僕はワカに弱いし、ワカに触れられたらそれだけでどうしようもなくなるのだ。
なのに一番情けない部分を直接、それもワカとの行為の中で二番目に気持ちいい部分で愛されてしまっては、もう翻弄される以外どうすることもできるはずがない。しかも反撃が許されてないのだ。気を散らそうにも感覚が全部ワカに占められていては成す術もない。
一度目は、本当にあっけないほどあっという間に終わってしまった。
だけど、こくりと美味しくなんかないはずのソレを飲み下す喉の動きが目に入ったとたん、僕の欲望は顕著に元気を取り戻す。
「すごい、全然元気だ」
「あ……たり前だよ! あんな……ああ、もう、ワカ! お願いだから触らせて! もう我慢できないよ!」
半分以上泣きそうになりながら懇願するけれど、ワカは薄情にも首を横に振る。
「駄目って言ったでしょう? ちゃんと『夢』のとおりにするの」
「だけどワカ、これ以上は本当に……」
「……うん、だからね、『夢』を再現したら、その後は……」
とろりと何かが蕩けるような表情に、僕は無意識に喉を鳴らす。
「じゃあ、ワカ、早くしてしまおう? そうしたらさ、『夢』でできなかった分も、僕にワカを愛させて? それでたくさんたくさんキスしよう?」
「ん……あたしも早く、克己とキスしたいよ」
くしゃりとなぜか泣きそうな顔になって、それでも幸せそうに返してくる。そうしてワカは、僕の腰の上で膝立ちになった。
ああ、やっぱりワカはきれいだ。ワカの細くて筋肉質な線に、僕はいつもどうしようもなく惑わされる。どんなに豊満な身体も、ワカには比べるべくもない。
いつもは恥ずかしがって強引にこの体勢に持ち込まない限りしてくれないワカだから、こうして自分から受け入れてくれるなんてのはどれくらいぶりだろう? 慣れない上にやはり羞恥もあるのだろう。すっかり勢いを取り戻した僕に指を這わせ、少しずつ腰を下ろす彼女の頬には朱が上っていた。
「ワカ……」
「ん、克己」
それだけでちゃんと通じてくれた。恥ずかしげに微笑むワカの膝にそっと触れると、ワカはきゅっと目を閉じて一気に腰を沈めた。
「っ――!」
「うぁんっ!」
ぺたんと僕の上に座ってしまったせいで、一番奥まで届いているのがはっきりとわかる。うっかりそのまま果ててしまいそうになるのをぎりぎりでこらえ、はっはと運動直後の犬のように浅い呼吸を繰り返す。
「か、つみ……なんか、いつも、より……大きく、ない?」
「だってワカ、気持ちよすぎ……――っ! ワカ、駄目だ! 着けてない!」
理性を丸ごと持っていかれそうな快感の原因に思い至ったとたん、一気に理性が戻ってきた。けれど。
「馬鹿だね、克己。今日は大丈夫な日だし、そもそも『夢』を再現するなら、着けちゃ駄目じゃない」
からりと笑って告げたその顔を、僕は一瞬ぽかんと見上げた。
そしてワカは、僕が何か反論を思いつくより先に腰を蠢かしす。そうなれば僕はもうワカの手の中で踊らされるマリオネットだ。緩急を付けた動きに、不規則に与えられる締め付けにただただ翻弄される。時々突き上げそうになるけれど、筋肉の動きでわかるのだろうか、そのたびにお腹を強く押さえられたり腰を太ももで締め付けられて阻止されてしまう。
「ああっ、ワカ……若菜、ごめん、でももう――!」
「ん、いいよ、克己。きて? あたしの中に克己をちょうだい?」
うっとりと囁かれた、それが引き金となった。
「――カ、ワカ、若菜っ!」
『夢』の中ではあの瞬間、ワカにまた重荷を与える後悔を強く感じていた。
だけど今回は、何より大切で大好きな若菜がこんなにも僕を激しく求めてくれているという歓喜に、人生で幾度目かの至福に満たされていた。
抱き合っては眠り、共に身を清めてそれを台無しにしてまた綺麗にして、食事をしてまた触れ合って……そんな事を週末中繰り返して迎えた月曜日。
有給休暇を取ったワカは気難しい顔を崩さず、いつもどおりの時間に家を出た僕と一緒に僕の職場近くにあるカフェまでやってきていた。
「ワカ……」
「だから、言ってるでしょう? 始業時間になって職場に行って、大丈夫って連絡もらったら帰るって」
頑固にそう言い募る彼女に、僕は小さくため息を吐く。
幸いというかなんというか、先週末までに急ぎの依頼は終わらせていたから、今日は朝早くから取り掛からなければならない案件はない。だから定刻に職場に入って仕事を始めても問題はなかった。
むしろ問題は、どうしてワカがこんなにも僕のことを案じるのか、だ。
「……まあ、ワカがそう言うならそうするけど……」
「ん、そうして。それにほら、こんな風に朝カフェするのってすっごく久しぶりじゃない? まだ離れて住んでた時さ、週末の仕事で待ち合わせてた時以来だよね」
にっこりと笑ってみせるワカに、まったくもう、と苦笑が漏れた。
本当に、ワカは僕をよく知っている。何を言われたら僕がどう反応するのか、完全に把握しているんだ。きっと神様がワカに僕についての完全マニュアルを与えたんだろう。そうでもなきゃ理屈が合わない。
「うん、そうだね。あの頃は一つのセットを二人で分けてたよね」
「一緒に暮らすようになってからも二人で一人前か一.五人前がデフォルトだったよね」
僕が働き出してからは一気に改善された食事情を思い出す。
二人とも奨学金を受けての進学だったから、とても慎ましやかな生活だった。
僕の場合は入学当初は寮に入っていたのでまだ食については保証されていたけれど、夏休みの間に二人の関係が変わってしまってからは、僕がワカから離れられなくなってしまって、寮費の分を生活費に回して一緒に暮らしはじめたのだ。
いくらバイトをしていると言っても、僕はそもそも特殊な学校に行っていたから課題が多かったし、ワカもやっぱり高校生バイトだからできるといっても高が知れていた。後に家庭教師のバイトを先輩に紹介されてからは若干余裕が出もしたけれど、それもあくまで若干だ。
そんなわけで当時の僕たちが口にできたのは、実にさもしい食事ばかりだった。
とりあえずお米とお味噌だけは切らさずに、旬の野菜とキャベツにモヤシ、豆腐、こんにゃくが主食で、肉や魚が食卓に乗るのは稀だった。おかげで精進料理もどきは二人ともかなり得意だ。
僕が高専を卒業し、就職してからは比較的動物性たんぱく質を摂りやすくはなったけれど、粗食に慣れてしまった身では、栄養のバランスを保つために摂取しているという面が強かったりする。
節約精神は共働きとなった今もやっぱり染み付いているから外食自体滅多にしない。
そう考えれば、こうして一緒に外で食べる機会が思いがけず与えられたことを喜ぶべきかもしれない。
店の奥まった席にいたせいか、何人か見覚えのある人が朝食を食べたり、仕事のお供だろうコーヒーを買っていくのが見えたけれど、僕たちの存在は誰にも気づかれなかった。そのことにほっとしつつ、時間が迫ってきたため僕は名残惜しく席を立った。
いつもと違ってほとんどの責が埋まっているオフィスに入る。
始業十分前というタイミングなせいか、近所の席の人たちと私語を交わしている人もいれば、モニターにかぶりつきになっている人もいる。誰かが来たからといってわざわざ顔を上げる人は滅多にいない。
不用意に注意を引かなかったことにほっとしつつ自席に着くと、待ち構えていたかのように山上が声をかけてきた。
「よう、宗谷。今日もまた遅かったんだな。何かあったのか?」
「うん、おはよう山上。今日は僕の恋人が休みだから、一緒にカフェで朝ごはんを食べてたんだ」
言葉を返しつつパソコンの電源を入れる。デスクの上には、どうやら週末中に誰かが休日出勤をして仕事を片付けた結果、出てきたのであろう事案についての資料らしき紙の束が載せられている。それをぱらぱらと捲っていると、不意に胸の悪くなるような甘ったるい匂いが鼻をついた。
「おはようございます、宗谷さん。土曜日、大丈夫でしたかぁ?」
聴覚に絡み付いてくる媚に満ちた声。それが何を意味するのかを理解するより先に、手がポケットの中の携帯電話を握り締めていた。その手が、瘧にかかったかのように小刻みに震えている。
「ねぇ、宗谷さん、おはようございますってばぁ!」
――振り返りたくない! 叫ぶ本能に従って声を無視していると、相手にされないことに焦れたのか、その声の主は僕の腕を掴んだ。
瞬間、全身を怖気が駆け巡った。一歩遅れて頭の先から一気に血の気が引くのを感じ――
「ぃ、やぁっ!」
――ぱん、と、原因となった手を振り払い、その場に蹲った。